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息子が急性散在性脳脊髄炎になって倒れた話11

前日のPICUの看護師の方の説明を聞いて、私は翌日の面会時に持って行けるよう、ボイスレコーダーを買った。

ぱっと目についたものをそのままカートにいれた。

普段の買い物のように精査している余裕は無かった。

夫を送り出した直後に、そのボイスレコーダーが届いた。

せっかくだから、と次男と共に長男に向けてメッセージを入れる。

まだ喋れない次男は「あー」とか「うー」だけだったけれど、いつになく真剣に喋っている気がした。

まだ、この世に産まれて一年ちょっとだけれど、『何かが起こっている』ことを分かっているのだと感じた。

「明日、にーにのところに行って聞かせてくるからね」

そう言って次男をぎゅっと抱きしめ、寝かしつけた。

次男が昼寝をしている間に、今までの経過や医師の説明を覚えている限り書き出すことにした。

今後どのように進んでいくとしても、今までの経過の情報は重要になるはずだ、と考えたのだ。

記憶が新しいうちに。

忘れてしまう前に。

そう思いながら、この日からほぼ毎日経過の記録をつけ続けた。

その記録は今こうして私がこの記事を書く助けとなってくれている。

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次男がお昼寝から目覚めて少しした頃、夫が帰宅した。

「呼吸器の管、口から入れていたのを鼻からに変えてもらってたよ。

看護師さん達が歯ブラシしたり、管が擦れて少し荒れちゃった肌にもクリームつけてくれてたりしてた。

いろんな人にたくさん助けてもらっていたよ。」

そう言って、カメラで撮った写真を見せてくれた。

本当に眠っているだけのように見えた。

夫はその写真を見ながら少しずつ、ぽつぽつと思い出しながら話をしてくれた。

前日の説明でも脳波がかなり乱れていると言われていたが、この日も変化は無く、引き続き安心出来ない状況のようだった。

「脳波も、画像も『変化無し』と主治医からは伝えられたけれど、PICUの先生は『画像上は若干浮腫は回復しているのではと思います』と言ってくれたよ。」

ぎこちない笑顔で、暗くなるまいと伝えてくれた夫を前に、

「そっか…!教えてくれてありがとう。まずは悪化してなかっただけですごいことだよね。長男、一生懸命闘っているね…!」

少しでも前向きになれるように、夫にも自分にも言い聞かせた。

そして、心の中で

(長男、頑張っているね…!えらい、とてもえらいよ!明日はママが行くからね。もう少しファイトだよ!)

と、必死で呼びかけ続けた。

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前日の説明の中で、『ステロイドパルス療法』について、3日で1クール、数日ほど間を空けてもう1クール行い、その後は状況を見て判断する予定と説明を受けていた。

本来ステロイドパルス療法に限らず、急性散在性脳脊髄炎の治療法として挙げられるものは投与と同時に効果が出ることは少なく、数日後から効果が現れることが多いとも聞いていた。

だから、長男のように1クール最終日で状況が変わっていなくとも、治療法が合っていないと判断は出来ない段階だった。

明日には状況が改善するかもしれない。

でも悪化に転じたら?また脳が膨らんでしまったら?

そのとき治療を始めても間に合わないかもしれないのだ。

その緊張感が私達夫婦にも伝わっていた。

夫は「夜まで様子をみて、翌日から『ガンマグロブリン療法』も併用して行っていく可能性がある」と説明を受けたと言っていた。

ガンマグロブリン療法は輸血製剤である免疫グロブリンを大量に投与する方法だ。

ステロイドを大量投与した直後に輸血製剤を使う。

どちらも副作用もあるし、後遺症の可能性もある。

投与直後にアナフィラキシーショックが起きれば今起きている脳の炎症とは別に生命の危険が迫る可能性もある。

それでも、それに頼らなければ、1日でも早く投与しなければ助からないかもしれない。

そんなギリギリの状況にいる。

毎日、それを突きつけられ、ついに本人の顔を見ることさえ出来なかった。

長男が倒れてから24時間顔を見ることができなかったはこの日が初めてだった。

一日中落ち着かず、心臓の音がうるさいと感じるような緊張感を常に抱えたまま、翌日を迎えることになった。






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