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noteことはじめ03 #見出し画像をつけよう。

noteは惜しげもなく、表現者がフリーで使わせてくださるので、トップ画像はいつも「みんなのギャラリー」から頂いています。

そして、自分の画像はというと。

あまりに人生の流れが早く、メモをしているひまもなく、イベントごとにできるだけ写真で残しておくようにしている。それでも足りない。
自分の記憶をたどるためにも、このような種類のnoteは必要だと思う。

そういう意味では、写真って、すごいメディアだ。というわけで、ひとつひとつの写真を語るには無理なので、まとめてみた。

そういう時に、お役立ちなんだな、こういう記事!

私の毎日はカオスです。学びとよだれと愛と涙と満開です。なんのこっちゃ。

どっちにしても、かなり「生きている」という感じがあり「生かされている」という強い、目に見えない関わりも感じる。

個人の顔をだすのがためらわれるので、出さないけど、今週は本当にたくさんの人に会いました。面白い資料もあったし、興味深い話も聞いたし、素敵な新しい出会いもあったし、満腹です。

でも、一番うれしいことは、気持ちの良い距離でいられる人間関係が見事に形成されて、それがふわりふわりと広がっていくことです。

そして、会えなくても、思い出す友人を考えると、祈りのようなものが、必ず伝わると感じられること。

余談ですが、今月の天王星がおうし座に入って、これから7年後を本気で考えるようになった。最近のホロスコーパー優子(笑)に磨きがかかってきました(と、私は勝手に思っている)。

学びの中に没頭して、楽しみたい。

民俗学と自然は、当たり前だけど相性がいい。星はすごくわかりやすい指標だ。

そして、社会学と現代が交錯して、私は過去や未来を行き来できるような芳醇な世界にいるんだなぁと感じます

〜学とかくと、さも勉強している風だけど、違う。

schoolの語源をやさしく書いてある文章があった。ネットって最高。

そのなかでも、この一文は、私が思う「学ぶ」に近い。新旧の知識を前に、私は自分と対峙する感じだ。

ギリシア語の「schore」はその後、ラテン語で「schola(スコラ)」と訳され、「学院、僧院」を意味するようになります。その意味が通じるようになる中世ヨーロッパは当時、必ずしも学問の分野で世界をリードしていたとは言えない状態だったようです。

私にとって、学びとは、そんな感じ。なので、座学もあれば、グループワークもあり、フィールドワーク(聞き取り)もすべて学びなのだと思う。

結局、学びって「人を知る」ってことでもあるのかもしれない。すべて理解するのは難しいけど。

好奇心を持って、人に会い続けたい。

見出し画像をつけるからは遠くなったかもしれないけど、私はnoteを書いているのは、表現というより、新しいテクノロジーを使った、ひとつの学びに近いな、と思うのです。


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