母の願い

母はわたしをピアニストにしたかった。

なので、お勉強なんかしなくていいと言っていた。
とにかくピアノだけやっとけと。
記憶には残ってないけど、2歳くらいの時にわたしが自分からピアノやりたいとお願いしたらしい。

小3の時、ブーニンの先生だとかいう外国人男性の公開レッスンを一週間も受けさせられて、その人がわたしを連れて帰って育ててあげてもいいよと言うので
単身ドイツだかモスクワだかへ送り出されそうになった。

そんなの怖すぎるしとんでもなく怠け者なわたしは全力で拒否した。
わたし自身はピアニストになりたいなんて思っていない。
卒業文集の将来の夢に書くことなくてピアニストと書いてしまったけど、
両親が不仲だし ばーさんもキーキーうるさいので平凡で幸せな家庭を持ちたいと乙女なことを思っていた。
ピアノの下に電気スタンド置いていろいろ遊び道具を持ち込んで秘密基地みたいにしていて、ほとんど練習せずに遊んでいた。
当然音がしないのでバレるんだけど手が痛いとか仮病をつかって、ちょっと弾いてはけっこう遊び、を繰り返していたら、
怒り狂った母からハサミが飛んできたことがあるけど本人は知らないと言っている。
そもそもまだブーニンフィーバーの最中なので、あのおじさんが本物だったのかどうか怪しい。
偽物であってほしい。自国に連れて帰ってレイプされて売られる結末だったとしたら拒否した自分を正当化できる。

ここ ↑ に出てくる ” やるべきことをやらずに逃げていた ”というのはピアノのことで、
5年生の時に「ピアノやめて遊びたい」と言ったら「ピアノやめるなら死ね」と言われたのです。

やだ、こわーい。

手を怪我してはいけないからとたまに小学校行っても体育の時間は見学。
中学からは見学せずバレーボール等球技の時間はひたすら逃げて球に触れなかった。
高校の時に売春してると噂を立てられていた時のバレーボールの時間はその人たちから執拗にアタックで狙われたけど、
わたしを嫌っていないチームメイトたちが勝手に拾って守ってくれていた。
当の本人はさほど気にしていないのにありがたい。
敵のコントロール向上にも貢献できたのではなかろうか。

そこまでしていたのに6年生から徐々に周りから言われるほど落ちぶれていった結果ただの人になったわたしを母は嘆いているけど、一応続けてはいる。
やめてはいない。
たぶんわたしのピークは4年生。

近所に住んでいた時もありながら実家を出てずいぶん経ち、たまに母と電話するとごちゃごちゃ文句を言われるけど、
最後に ピアノは弾いてるか と質問され、弾いてるよ と答えると
『それならいい。』で終わる。
それだけでだいたいのことが流される。
今はクラシックをやっていないけどたまに演奏動画を送ると「間があたしとそっくりー」と喜んでいる。
一緒にしないでほしい。彼女は落ちぶれたわたしよりも下手くそだ。

(わたしはこの人 ↑ のピアノが好き)
18歳の時にこの曲を練習していたら、母が『あたしが死んだらお葬式で弾いてほしい』と言った。
聴いてるだけで涙が出るほど好きらしい。しくしく泣く。
それからずっとそれを言っている。

生きてるうちじゃないんだ。
変な人。

弾くよ。
絶対弾いてあげる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?