見出し画像

このまま終わりたくない

最近、「このまま終わってしまうのでは」と弱気になっている。
自分で認めたくなくて、向き合うことを避けてきたけど、創作活動の意欲は風前の灯火なのかもしれない。

何かをきっかけにして吹き飛ぶか、じわじわと静かに消えていく。
そんな状態。
ただ、私の中に眠っている心の本が時々開くので、創作活動はしたいんだと思う。

でも、バランスが取れない。
心と体がバラバラになって、うまく連動できていない。
そのせいか、最近は何を書いてもしっくりこない。

「このまま終わってしまうのだろうか?」

「……いや、終わりたくない」

私の葛藤の本音を、ほんの少し聴いて頂きたい。


朝起きるのがつらいと思い始めた
毎日4時に起き、出勤するまでの1時間半~2時間、文章をしたため、創作活動をしていた。それは2年近く続いた。
出勤前に頭の中を言語化することでスッキリしたし、アイディアをうまく形にできたときは嬉しかった。納得するまで書き切る時間も充分だったので、頭を完全燃焼させて、仕事に向かうことができた。すごく良いサイクルだと思った。

でも、それもずっとは続かなかった。
パチッと目が覚めた瞬間に「今日はこれを書こう!」と飛び起きていたのが、「眠い」「まだ寝ていたい」「寝ていたい」と起床がつらくなってきた。4時起床は稀になり、現在は早起きできても5時半。出勤準備ギリギリの6時まで寝ている状態。

4時起床で朝活していた成果が良かったので、以前のような活動スタイルに戻したいと願ってしまうが、どうしても今の自分には難しいようだ。


生活の変化に自分が変われない
時間経過と共に自分の体も衰えていくし、体力もなくなっていく。それは朝もしんどくなるだろう。
加えて活動開始当初、幼児だった子供は小学生になり、第二子も生まれて生活リズムも変わった。
子供も20時就寝から22時就寝になった。幼児のように昼寝もなくなり、起床時間も早くなる。伴って、家庭のことに費やす時間も増えた。
なかなか自分の余暇が訪れない。

自分の生活が変化しているのに、自分が変れないのだ。
活動順調であった頃が忘れられず、その頃の活動スタイルが正攻法だとすがりつく自分がいた。

「4時だ」「早起きすれば」

目覚ましをかけても体が動かない。

「もうだめだ」

起きようとしないのは自分。自分の意思で起きないのだけに、時間を捻出できないのを環境のせいにしてしまいたくなる。
自分に負けてしまうことが余計に自分のやる気をそぐ原因になった。

変化を受け入れないと、自分も変れない。

でも、外的要因はよしとできなかった。
なんか、自分が負けた気がして。

時代の変化に乗れない。乗り遅れている感じがするのも、周辺に合わせて自分を変えられないからなんだと思った。


始めたときの勢いが続かないもの
新しいことを始めるときの勢いはすごい。
寝ていなくても、疲れていても、見返りがなくても、「ただただ楽しい」それだけで一気に駆け抜けることができた。

しばらく経つと、その勢いは永遠ではないと思い知る。
自分の中で限界が訪れるのだ。

「これをやったら、何になる?」
打算的なことを考えて動くようになってしまう。

「ただ楽しい」だけでは続かないと理解する。
動くためのエネルギーと自分へのご褒美。そのご褒美がエネルギーに昇華する好循環を作らないと回らない。


タスク制度は失敗した
朝起きるのがしんどくとも、起きてみればなんとかなるもの。そう信じていた。

「起きたら、これをやる!」「今日はこれをやる!」的に、創作活動の計画を練って、毎日のタスクを書き出していた。これがタスク制度だ。

今日やることが明確になっているのはいいが、それをサボる日が出てきてしまった。
「これをやったら何になる?」と打算的な考えで、自分の余暇を優先し、タスクを放棄した。

「やらなきゃいけないこと」に変わった瞬間にやる気を失う。

タスクをこなしたご褒美設定がない。
だから頑張れなかったのかもしれない。


創作活動は持久走なんだと
コツコツ続けて6周年。創作活動は持久走なのだと実感する。
何を今さら。

ここまで「ただ楽しい」旗を目前に掲げてよく頑張ってきたものだ。

自分は変わらなきゃいけない。
変わらないと本当に潰れるし、灯火は消えてしまう。

一生持久走をし続ける覚悟で、書く習慣だけでなく、自分を褒める習慣やエネルギーに昇華する習慣をを積み上げていかなければ。


終わると思おう理由とやっぱりやめたくないと思う理由
私にとって、停滞しているのは終わっていると同じなので、創作物を発表していない期間は「活動していない=終わっている」と思いたくなる。
だからスパッとやめたくなる。

充電期間という概念がモヤモヤする。

充電期間(=活動休止期間)を明確に決めて、「いつから活動再開します」
なんて言わないと気持ち悪い。

でも、そうやって宣言するのも苦痛になっていた。
だって、以前のようにできそうにないから。

しかし、思ったんだ。
以前のような自分が戻ってくることはないだろうと。
自分から変わって、進んでいくしかないだろうと。

「活動休み」や「活動休止」を明確に宣言することすらバカバカしいと思うようになった。
私は死ぬまで何かしら書いているだろうから。

不思議なもので、モヤモヤしているのが嫌だから、「やめよう」と思った次の瞬間には、物語の構想が浮び、頭を捻っているのだ。

これはやめられるわけがない。


しんどい先にある喜び
無から何かを生み出し、形にする瞬間は苦しい。

腹落ちする言葉が見つからない。書いても直しても違和感があって引っかかるところがある。こんな状態で投稿したくない。

一生懸命考える。直す。
でも納得できない。

考えて考えて。歩いている時、寝る直前まで頭の片隅で考えて。
ある時、求めていた言葉が降ってくる。

求めていた表現が見つかった瞬間、ぴったりとピースがはまり、物語が完成する。

「これしかなかった!」

納得する表現に胸が弾む。
物語を作っているのは私なのに、初めからこうなるしかなかった、予定調和の物語が完成する。
心が震える。
その瞬間が最高の喜びなんだと改めて思う。

だからやめられないんだ。


* * *


とりとめないことをつらつらと書いてしまい失礼しました。

まだ、自分の中でまとまっていません。

まとまらないなりに、歩き出してみようと思います。
今月末か、翌月頭に小説と台本投稿していきます!(別記事でこの話をします)

さわなのバックヤードへようこそ! 閲覧ありがとうございます。あなたが見てくれることが一番の励みです。 あなたの「スキ」「感想やコメント」「SNSでのシェア」などのアクションが何よりのサポートです。