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「多元追憶ストライクエンゼル」への道:2010〜2011

 「宇宙超戦艦ヒリュウ大宇宙ノホウカイ」が完成、公開されてすぐにアニゲー特研究会は「宇宙超戦艦ヒリュウ」の第二部の制作に取り掛かった。佐橋、原P、Tを中心にプロットを作り、佐橋は脚本に取り掛かった。
 確かに「宇宙超戦艦ヒリュウ」は研究会の記念すべき第一号作品だった。そして何より作り上げる過程は皆各々楽しかったはずである。しかし第一号作品の出来は、制作中皆に見えていたリアルな風景の1/10にも満たないものだっただろうと今なら客観的に言える。皆言葉には出さなかったが、自らの手で作り出した作品が完璧な形で完成されていないことへの苛立ちはあったに違いない。そうその不完全さが現在の「多元追憶ストライクエンゼル」にまで響く大きな傷となったのだ。
 第二部「宇宙超戦艦ヒリュウ アルカ、約束の時」の脚本は第一部の比ではない程分厚いものとなった。内容は反逆と世界の再生、第一部に詰め込めなかった全ての中学生的エッセンスを凝縮させたモノだった。人型メカの戦闘や次々と散っていくヒリュウのクルー達、そしてリョウジは特異点「アルカ」で世界のリセットを敢行する。大き過ぎるストーリーは「伝説巨神イデオン」の如き生々しい死と魂の浄化、そして世界の終焉を描いていた。佐橋や原P、そして特技監督へ昇進したTは第一部のリターンマッチの如くこのシナリオに魂を売り始めた。
 三人は週末の度に秋葉原へ出かけ、必要なガンプラなどを書い揃え、佐橋宅でそれらのプラモを組み立てていった。第一部で操演による特撮に限界を感じたメンバーはブルーバック合成による人型メカのアクションを存分に見せようと張り切っていた。もちろん主役のヒリュウも作り直し、コマ撮りと操演による特撮の二段構えで特撮パートの制作は始まった。
 特技監督のTはコマ撮りの勘が鋭く、作画アニメーションによる原画と動画の中割りの概念を応用し、佐橋の描いた画コンテから何枚の写真が必要かを割り出し、精密にメカを動かしていた。人型メカ同士がサーベルを切り結びぐるぐると回って離れていく、この動きをTはコマドリの違和感なく表現して見せたのだ。佐橋は現場をTに任せ画コンテ制作と編集に専念していた。今や一部しか残っていないそれらのコマ撮り映像が公開できないのは大変心苦しいが、井の中の蛙のイケイケ連合艦隊は「こんなコマ撮り特撮やってる中学生は俺たちくらいだぜ!」と調子づいて作業に明け暮れていた。
 また第一部と同じ段取りで、2010年冬休みにも教室を借り切った本編撮影が行われた。キャラクターは役者である研究会のメンバーとリンクして、鬼気迫る芝居の連続であった。次々と散っていくクルー達、感情波渦巻くアルカの宙域でリョウジは世界の再構築を願った…
 本編の映像を並べた仮編集は1時間40分の超大作となった。その映像に完成した特撮カットをはめ込む作業を行って行ったが、来る日も来る日も膨大な特撮カットがTを始めスタッフに押し寄せてくる。締め切りを作らなければ作品は空中分解してしまうと思った佐橋は宣言を出した。佐橋と原Pが進学した慶應義塾高校の学園祭である2011年の「日吉祭」での公開を封切ろうと決めたのである。そしてそこでは第二部だけでなく第三部も公開し、ヒリュウシリーズを完結させようと言うものだった。それからと言うものTを始めスタッフ達は塾や習い事をサボったり、終電まで佐橋宅にこもって制作を続けた。いつ完成するかも定かではないが確実に(経験値不相応の)高品質なコマ撮り特撮のシーンが上がっていった。
 佐橋は空き時間を利用してヒリュウシリーズの最後を締め括る第三部の原作小説の執筆を開始した。もはや実現する可能性の低い作品であるためあらすじを覚えている限りざっと書いていこう。

 舞台はとある中学校、そこで何気ない学生生活を過ごすリョウジ等ヒリュウのクルー達。彼らは学園祭のクラスの出し物のために映画を制作することになった。その映画はリョウジがかねてより夢想していたSF映画「宇宙超戦艦ヒリュウ」であった。リョウジ達は夏休みを使って映画の撮影を始める。しかし彼等を待ち受けていたのは映画が現実を侵食する空想と現実の同化現象であった。襲い来る謎の刺客達と戦いながら、リョウジ達は映画の結末を宇宙に見る…

 この頃から、否、「宇宙超戦艦ヒリュウ」を始めるにあたって佐橋はオチの付け方にひとつのビジョンを当時抱いていた。実写映画として制作を始めた「宇宙超戦艦ヒリュウ」が佐橋達アニゲー特研究会の目の前に現実として現れる作り手としてにカタルシスの映像化とその終焉であった。「メタ構造」と言えば言葉は簡単だが、中学二、三年生の妄想力も相まって佐橋以外の誰にも伝わらない時空間論へと迫っていった。現在の佐橋の心の師匠押井守監督の影響は当時から出始めていたのだった。「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」や幻となった「押井守版ルパン三世」は当時の佐橋の心を掴んで離さなかった。現実と虚構を行き来する主人公、そして遂には第四の壁までも越えてくる、そんなトリックのある作品を自分も撮りたいと佐橋は目論んでいた。そしてそれは実写の特撮映画として始まり、中学生のリアルな感情とリンクして進めてきた作品の完結編に相応しいと思っていたのだ。戦いの果てにリョウジ達は宇宙で現実の作り物であるヒリュウと映画に中の宇宙戦艦ヒリュウが向かい合い、衝突、そして対消滅していくことで「本当の現実」へと帰還することになるプロットであった。刺客達と戦うリョウジ達の武器もそれぞれの性格にあった銃器を探して設定し、リョウジ達の担任である女性教員マヤの乗る車も「フェアレディZS33」のブルーと設定して執筆を進めた。
 ある程度原作を書き進めたところで佐橋は小説の結末を書かず、プロットのみで寸劇を繋げた台本なしの映画としてこれを制作しようとした。2011年夏、第二部の特撮パートも残すところ最終決戦のコマ撮りのみとなったところで、第三部の撮影はスタートした。スタッフもキャストも全て即興でアイディアを考えとにかく撮り進めた。佐橋は部活繋がりで知り合った慶應義塾湘南藤沢中高の教員N氏にも出演のオファーをかけた。残念ながらスケジュールの都合で実現はしなかったが、実現していれば佐橋作品初の正式なヒロインが生まれるはずであった。余談ではあるが、N氏と氏に良く似たゲーム作品「アマガミ」に登場する高橋麻耶は後に「多元追憶ストライクエンゼル」制作時ヒリュウの副長久織ミサキのモデルとなった。ヒロインの不在は撮影計画では想定されていたものの、しかしここから経験不足のアニゲー特研究会が台本なしの大作を制作するリスクが見え始める。スケジュールとの戦い、イメージの共有、芝居へのリテイク、長引く撮影、全て後手後手に回り、撮影は難航した。中学生、高校生の集団と言えど、佐橋以外のメンバーにも私生活や学業などの生活があった。そんな中始まった無謀な挑戦は監督佐橋にとって完全に梯子を外された足場のない戦いであったのだ。
 そして監督の不安と焦りは、追い詰められたキャスト、スタッフのストレスとなり、そのストレスも限界点に達した時、ついに原Pが佐橋を止めた。撮影中断、ストライキを宣告したのだった。その時の佐橋とメンバーの間に大きな溝が生まれたのを覚えている。現場をコントロールしきれない荒唐無稽な大作を制作する佐橋に対し、その日の撮影に参加していたメンバーは一人一人胸の内を明かし始めた。佐橋もまた撮影を再開したい思いを語気を荒げて説きたい気持ちをグッと堪えてメンバーの言葉に耳を傾けた。そして最後に出た言葉は「俺たちにはこの作品は手に負えなかったんだ」と言う言葉だった。原Pを始めメンバーは第三部の制作仕切り直しを提案した。しかし佐橋には仕切り直し以前に「自分の作品が手に負えない大きな存在であったこと」へのショックでもはや仕切り直しどころではなかった。第二部の特撮班も次第に現場から遠ざかり、編集途中の素材データと本編パートの仮編集データ、そして使い倒されて関節がクタクタになったプラモの山が佐橋の部屋に残った。
 これが佐橋とヒリュウとSectuon2、基アニゲー特研究会最初の大挫折であった。

つづく

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