グレる時はちゃんとグレましょう。


タイトル、すごいインパクトですね。笑
これは昨日友人と話していた事です。

その友人とはもう10年以上のお付き合いで、わたしの過去のこと、性格、私の気づいていない私も知っているような、親友と呼べる数少ない友人と話していた時に思ったことです。

私の育った家庭環境はちょっとだけ複雑でして。
その家庭環境が今の人格を形成してるよね、という話をしていました。

小学6年生まではわたしは7人家族でした。
2世帯、というのかな、1階は私達家族(父、母、兄、私)で、2階は母の家族(母方の祖母、母の妹2人)という感じで住んでいました。
父は婿入りした訳ではなく、母の実家の土地に新しく家を建てて、同居していた、みたいな感じです。

私の記憶では、私が小学校2年生くらいまでは家族皆仲良く暮らしていたように感じます。(後々聞くとこの頃からズブズブだったらしいですが。笑)
 
私が中学に上がる直前に、父と母は離婚し、私と兄は父に引き取られ、父の実家に引っ越します。

原因は、母の3度の不倫でした。
我が母ながら、やってんなぁ、と思います。笑

父の実家に引き取られてから、兄はグレて、わたしもグレました。
きっと沢山心配もさせたし、悲しい思いもさせました。

でもきっと、グレなきゃやってられなかったんだろうなと今では思います。
両親の離婚というのは、多かれ少なかれ子どもに影響があります、それは絶対に変えられない事実だと思います。
もちろん、離婚して良かったんだなと思える部分もあると思いますが、当時の私たち子どもサイドからすると、そんなことを思える余裕なんてきっとないと思います。
16歳と13歳の子どもが、そんな余裕あると思いますか?笑

そりゃグレますよね。笑
ストレスの発散方法が他にないのです。

でも今だから思うのは、わたしは『もっとちゃんとグレていれば良かった』と思うのです。

というのも、私と違って、兄はそりゃあもう大変でした。
補導は当たり前、父は毎晩警察署に兄を迎えに行ってました。
暴言を吐き、ケンカをし、高校も辞め、本当にどうしようもなかったと思います。
 
でも、今思えばあれは兄なりの自己主張であり、ストレス発散だったのだと思います。

そんな兄ですが、今ではアパレル業界に就職し、店舗店長を任されるほど出世しました。
お兄ちゃん、すごいなぁって、私は尊敬してるよ。笑

ただ私はどうでしょう。
グレてる兄を見て、寂しそうに迎えに行く父を見て、泣く祖母を見て、
わたしは『家族を悲しませてはいけない』という思いが芽生えました。
 
結論から言うと、私は中途半端にしかグレられませんでした。笑
ビビっていたと言うよりかは、この頃から顔色を伺う癖がついていたのかなと思います。
何をするにも家族の顔色がチラつき、ちゃんとグレられませんでした。

きっと人間は、ストレスに対してちゃんとそれ相応のストレスを発散しないと、いつまでもそれを持ち越して生きなければいけなくなってしまうのかな、と感じました。
わたしが感じたストレスの大きさと、ストレス発散をするために『グレる』という選択をしたはいいものの、『ちゃんとグレなかった』ことにより、わたしはずっとそのストレスと持ち続けてしまっている気がします。

未だに人間関係において『人の顔色を伺う癖』があるのも、ちゃんと自己主張をしないで来てしまったが故のものじゃないか、と思います。
 
長々書き綴ってしまいましたが、
グレるならちゃんとグレなさい、ということです。笑

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