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230921_今この瞬間の今を認識できない

今この瞬間にいなさいとか今この瞬間に生きなさいというフレーズがありますけど、このフレーズの主語と言いますか、どの対象に向けてのフレーズであるのか?と思うことがあります。

日常を生きている自我というのは自分のことを体と思い込んでいるので、何事も目の前の現象や物、人間、言葉を認識するのは脳を経由しているハズです。脳を経由して認識されたものはどう考えても時間というものがほんの少しかかっているハズです。
ということはほんのちょっとの時間をかけて認識されたものを【今】ということは出来ないと思います。
認識したものはちょっと後のものとなるからです。
自我が目の前にしている現実世界というのはちょっと後の世界ということになろうかと思います。

このように見てみますと自我は永遠に【今に生きる】ことは出来ないのではないか?と思います。自我は本体の影的なものですから、例えば日中、木に太陽の光が当たると木の影が出来上がりますが、この影が出来るのにほんの少しの時間を要しているわけで、この影と同じ性質を持つ自我も時の経過を経て今という瞬間の後に出来あがっているものと見ることが出来ます。影は本体を認識する以前に本体は今あったのだ・・・という感じ。

じゃー今この瞬間にいなさいとか今この瞬間に生きなさいというフレーズは明らかに自我でないモノに対してのメッセージとして捉えるしかないかなーと思います。

今この瞬間とは一体どこにあるのか?と言うと・・・
そもそもそれは在るのか?という話になりますが、たぶんありますよって話です。
それは在るのだけど自我には見えないって話です。
でもそれはどこか遠いところにあるのか?と言うとそうではなく身近に在るのだけど自我に見えないということになっていて。
でも自我の目で見ることが出来ないすぐ近くの目の前にあるという・・・

あーなるほど・・・この目の前にある目で見ることが出来ない部分に昔の人は【今】というそれを発見していたのか・・・と感じるところがあるのですが、こーいうのは欲得にまみれて生活を送っている人にとってはお金にもならないし見向きもされない領域になるなーと思うのですが、でもそこにこれから人類が入っていく必要がある領域でもあるなーと思います。

ヒビキアマカム


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