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230705_運動したときに出来る影
日常とは?
日常とは?なんて考える人は現代では少ないのだと思う。何故なら、皆、忙しく過ごしておりお金のことを考え生活を成り立たせることで頭がいっぱいだから。
他、もしそのようなことを考える暇があったのならスマホやテレビなどに映るコンテンツを見ることを優先するってのもあると思う。
ちょっと前に植物は動物のように動いて移動するわけでないけど、どうも回転しているように見えると書いたのですが。
最近、現実世界にあるモノというものもボテッとして動きがないように肉眼で見えるのが普通ですがどうもこれは回転の結果、作りだされている影のように見えてしまいました。
原子分子の世界では回転しているとか振動しているとか色々言われているところもありますが、それとは別に回転の影というものがわかってきたところ。
そうなると回転って何ぞや?とかなっているのですが、地球は物質を生み出す3Dプリンターみたいなものと言われることもあるようですが、どうやら物質を生み出しているのが地球の自転、公転、月の自転、公転、太陽の自転、公転という3者の絡み合った回転ではないか?と思うようになり。
物質が何かの影であるとするなら当然、光源みたいなものが物質をたらしてめいることになりますが、そうなると物質を生み出す大元は我々のなじみのある概念、天体で言うなら太陽の光ということになろうかと思いました。
古代に太陽信仰があるのも何となく納得してしまうところがあります。
我々が営む日常というものは、空間とモノが重要なベースとなりますけど。日常とは空間、モノを体験すると言い換えても良さそうで。例えば、台所に行くと食べ物を食べるためのお皿という物質がありますが。当然、これはどこかのメーカーが材料などを揃えて製造したものでありますが、そもそもどうやって出来たのか?と根源を辿れば太陽であり地球であり月であるということになろうかと。また台所やお皿が存在するために空間と時間というものが必要になりますが、この空間と時間も太陽、地球、月の運動が作りだした影のようなもので。
考察していくとただの台所空間から、台所を台所たらしてめているマクロ空間である天体レベルの繋がりが見えてくるところ。
そして回転を生み出している天体レベルの精神というのも少し見えてきます。
我々が物理的に客観的に存在すると思い込んでいるお皿というものは、今なおこれからもお皿単独で存在などしておらずでまず前提として空間と時間とともに存在している連携された物質で。ところが我々はこのお皿を単独で存在していると勘違いするから本質を見失うというというところでしょうか。
お皿を手にとって移動させたとき、空間も動いていることになりますが相変わらず空間は固定化され動いてなどいまいと思い込んでいるのが現代人です。
こういう生活空間前提を置いた人類意識が次に作りだすのはコンピューターというのも何だか決まった方向性なのかなと思わないでもなく。便利性などを追求しただけで生み出されたコンピューターにはマクロやミクロの精神がないので何となく、現代人類がこの無機質な精神性で進化性がない世界に吸い込まれている感じで。
それはいわゆる台所にある蛇口をひねって出てくる水がその先には何もない排水溝に吸い込まれている様相に似ているように見えてしまいます。
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クリスタル・フラーレン
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