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230409_体の中に入っている?

肉体を持って生きている人は意識が体の中に入って体の中にいるという感覚があります。

結論から先に言うと、これは見事な錯覚です。
錯覚なんですが、脳などは巧妙に偽装できるため自分の内側を調べようとしない人はそれが普通となり、普通と思っていることは通常、新たに特別に意識を向けることはありません。ということは特別に意識を向けない限り異常になる余地はないということになります。

まず生まれたときにこの意識と脳が見事に連結する必要があるために様々な制約、条件設定を赤ん坊に課されることになります。物心ついて大きくなると、
【自分は現実の中にいて地球の中にいて日本の中にいて〇〇県の○○市の中にいて〇〇という名のついた家庭の中にいてさらに過去現在未来へと直線的に前に流れる時間の中にいる】という観念、思い込み、囚われが当たり前のように適用され、あとは脳、ニューロン構造がその囚われに沿って感覚器官を機能させます。

現実世界に生まれてきた存在ってのは、現実の中で生きなければならないので現実の中で生きているという体験をするために様々な偽装工作が物心つく前に行われることになります。

こういう偽装が解かれる日はやがて誰にも来るものだと思っていますが、個として生まれて来る存在がある以上、個を束ねている大きな存在による何かしらの計画もあることから、個にとってはまちまちになるのだと思います。通常は現実世界の中にある社会というものを十分経験してから解かれるのではないか?と思っています。現代社会だけ見ても、頑張った人が決して報われるようなものではないので何かと矛盾と言いますか、やり切れないものを感じさせるものでありますが、そういうものが極まったときに【もう社会の経験はOKです】【もうええわー】みたいな感じになろうかと思います。このときに個を束ねる大きな存在から種明かしみたいなものが内側からやって来ます。

全てはイリュージョンでしたと。
なのでゆっくりイリュージョンを解いていってくださいと。

こうやって体の中にいるという錯覚も日常の氣付きを経て段々と解かれていきます。そうなると時間と空間の中にいるという囚われも緩んでいき、時空を超えていく個になろうかと思います。当然、肉体の構造もそれに対応するように変わっていくことでしょう。

そもそも内とか外という感覚も錯覚ですが、そのものを体験するにはやはり中に入るみたいな体験が必要だと思います。外から眺める経験も必要で。内の経験と外の経験を合わせることで情報そのものを立体化させていく意図があるように思います。

今の人間がわざわざ作られた物質宇宙の中にいるという設定はそれなりの目的があると思われますが、物質宇宙ですら偽装されたもので実際に存在しているわけではないでしょう。夜空を見上げたら星々を見ることができますが、それもあくまで高度なプラネタリウムみたいなものだと思っています。偽装されたものの中にいますという偽装を作って体験する何かしらの意図があるわけです。


でもどんな意図があっても、夢は夢なのです。

クリスタル・フラーレン


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