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231106_理解できそうなことばかりをやっていると凝り固まる

人間はどうしても未知なることに対して恐れを抱く傾向にあるので、

主として仕事とか日常の生活でも自分が見知った範囲内でしか行動を起こさないところがあります。
これは慣れ親しんだものしか関わらないということであり。

これはこれで楽な姿勢でもあるのですが、
自分の見知った範囲内で行動を繰り返していると心が凝り固まります。
最初は軽やかな想いであったところが固定観念となり囚われとなります。
軽やかなものだったものがいつか反転して重たくなるのです。

例えば本を読むにしても文系の人は十中八九、理系の本を読むことがないと思いますが、これは理系の本を読んでも内容がさっぱり理解できないから、つい自分にとって読みやすい本しか読まなくなってきます。こういう状態になると、だいたい人と話す言葉、内容はほぼ毎日同じものになってきます。あるいは自分から特に話題を切り出すまでもなく他人が喋る内容に依存する状態となりやすくなります。
【あなたが私を面白くさせてよ】状態となり他人に依存する感じ。

自分の経験上、全く理解できない内容でも時の経過とともに理解できるようになったことが多々あって、知らない文章とか言葉とか読んでいるだけでも自分の中で何かが起こっていることが判っています。
これは知らない言語も同じく。
全くわからないけど眺めていると時の経過とともにわかってくることがあります。

別に未知の分野に踏み出さないといけないわけではないのですが、折角、生きているのですから生きているうちに色々な概念、色々な風景、色々な人に会ってみておいたほうがいいですよね。
特に色々な人と出会うってことはそこに様々なジャンルで活躍している人間に会うことを意味するのですから自分が既に持っている概念で会話が通じないことが多いので相手の持っている概念をよく聞いて理解していく姿勢が必要となります。コミュニケーションの基本となる姿勢となるものですが、

これがまた自分の知っている話題でしか話をしていないといつしか折角出会った他人とも音沙汰ナッシングな状態、音信不通になるのが普通は早くなります。

自分が知らない分野に一歩踏み出すのはそれは大変なこともあります。慣れ親しむ努力が必要となりそこに結構なエネルギーを使う場合もありますからね。
しかし、その分、自分の人生に広がりをもたらすことになります。

自分の人生に広がりをもたらすということは出会う人がかなり変わってくるということを意味していて。
何かのジャンルの達人レベルのマスターに素人が会えるってことはどの分野でもほとんでなくて。自分があるレベルに到達することで初めてマスターに遭遇するという現実の構造があるので、

結局、日々、見知らぬところにチャレンジしていくことで自分が凝り固まるこも防げますし、何か新たな刺激をもたらしてきます。

ヒビキアマカム


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