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240307_悩みの答えを他人になんで求める?

〇〇のときは▲▲の手法をとる
□□のときはAAの手法をとる

という感じで多くの人はメソッド依存して仕事なりしているところがありますが、このメソッドも他人から聞いたものをただインプットしているところがあるため、ちょっとメソッドで対応できないことが出てくると、すぐ他人に新たなメソッドを聞くという特徴があります。メソッド地獄ですね。

んでこれと同じ話が自分の悩み解決に関することで。

悩みがあってなかなか解消しないとするとすぐ何か知っていそうと思われる他人に聞くということがよく行われていると思いますが。
悩みを共有するって感じで他人に話すってのはありかと思うのですが、悩み解決法を他人に求めるってのは個人的にどうなのか?と思うところがあります。

例えその悩み解決法を他人が持っていたとしても、次に発生するなかなか解消できない悩みの解決法をまた他人に聞くということを行うでしょう。また悩み解決を求める人は極力、無料で・・・という感じで無料で答えをGETしようとして姿勢が見られます。
無料に近いコストで手っ取り早く解決できるものを求めるってのは現代人の悪癖でしょう。
そんな生き方して一体何になる?って話があって、そんな生き方するぐらいなら時間がある現実世界にわざわざ登場しなくていいでしょうと思うことがあります。

悩みとかは適切な時期に解決されるようになっているのだから、コンビニを利用する感覚で手っ取り早く答えを掴みにいくものではないと思います。そんな感じで思っているところがあるので、自分のなかなか解決しない悩みの答えを他人に求めるのはそんな意味あることではないと思います。

仕事でも同じ話がありますが、不明点が出てくるとその不明点をすぐ解消できるようにメソッドややり方を逐一、聞いてくる人がいますけど。そんな逐一聞いて一体何になるんだ?と思うのですが、すぐ聞かずに自分でその不明点を探求しろと思うわけですが、時間をかけるな~と叫んでいる職場ではそうも言っていられないところは確かにあります。だからと言って、何でもやり方を聞いてインプットしていると別にそれ人間でなくて機械でいいやんとなりますよね。
だから人間のやっていることが機械にとって替われられるとういうことが起こっているのだと思いますけど。

何かを解決するのにやり方などのメソッドが必要と思い込んでいる集団がいつしか役割を終えて近いうちに機械にとって替われられるかなと思います。

ヒビキアマカム


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