221204_時間と空間が嘘であるならば

人間が現実世界にどっぷり浸かっていると目の前の現実が幻想とはなかなか氣が付かないものです。まして、目の前に他人が出現して同じように現実世界が実際に存在していると振る舞うならば、他人が当然のように実在しているように振る舞っているから自分の現実も当然のように実在していると思い込む傾向にあります。

現代人は十中八九、目の前に広がる世界を遠近法で捉えています。遠近法で当たり前のように捉えていることに疑問を抱く人は少ないと思います。

【100メートル先に薬局がある】とかこうやって奥行き、空間というものを感じています。個人的に思うのはこうやって空間を認識するのは脳のプログラムと言いますか補正と言いますか、そういうものが大きく影響しているように思っています。

瞬間と瞬間の間には隙間があるのですが、日常忙しく過ごしているとそういうことを垣間見ることはほぼなさそうです。ですが、よく見ると隙間があってその隙間を埋めるように脳が補正しています。私たちが空間と呼んでいるものは縦横の2次元のフレームの連続ではないかと私は考えています。私はこのように現実世界を見ているため、【あー自分のカラダって動いているようで実際には一歩も動いていないな】という結論を持っています。飛行機に乗ろうが電車に乗ろうが無数にある縦横の2次元フレームの視点や認識を変えただけであって実際に動いているわけではなさそうです。

どうやら似たような見解を一部の脳科学者も持っているのだなーと脳科学者の解説を見て何となく思ったことがあります。

この世界・・・他人がいて沢山の人間や出会いがあると錯覚していますが結局のところ、時間と空間が一種の小道具的なものであるなら、時間と空間の上に成り立っている他人という存在と出会っているというのも錯覚となります。どんな人間と出会っても、それは出会っているツモリであり、実際には出会っていないことになります。バーチャルイリュージョン体験ですね。引き寄せの法則とかで望む物質を手に入れてもそれがそもそもホログラムであるのなら手に入れたという体験も錯覚ですよね。

全ては錯覚の世界であるけども、現実世界を生きるってのは肉体の寿命がある限り行われるものですが、色々と錯覚の中で経済に囚われるような夢遊病に陥り主体性なき生活を送るのは避けたいところであります。

クリスタル・フラーレン


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