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映像業界は経営やマーケティングを学ばなくてもいいという風潮

マーケティング。ふわっとした言葉だ。定義は人それぞれだろうが、最近は市場のデータ分析として仕事が募集されていることが多いように感じる。

特に、昔ながらのテレビ・映画の制作となると、そういった視点は皆無なのではないかとさえ思うことがある。
意識として「良いもの」を作れば、面白ければ視聴率は上がるし、配給宣伝会社にお金さえ払っていれば「プロだから」専門領域の仕事をしてくれるはずだという思い込みがある。

そんな姿勢でいいんだろうか。

もう引退間近だからとか、テレビはテレビだからとか、様々な裏付けのない理由でネットを軽視する人は少なくない。苦手だという人もいる。(メディアに携わる人間がそれで良いんだろうか。)
ネットからひっぱってきた動画をつなぎ合わせて作られたバラエティ番組も存在するけれど、あれなんかはテレビの敗北宣言のようなものじゃないか。

実はYoutuberや動画配信サービスでインフルエンサーを目指す人たちの方が、マーケティングを意識しているんじゃないだろうか、とさえ最近は感じる。

この領域は広告代理店の分野だったんだろうけれど、なぜ制作サイドは預けたまま考えようとしないんだろう。

職人は作ることだけを考えていれば良い、なんてことはないと思う。
良いものを作るなら、何が「良いもの」とされるのか、どうしたら届くのか、考えなければ良いものは作れないんじゃないか。

また、メディアとして発信するべき「情報」は何なのか。
電波が公共であることは、単純に「娯楽」に徹して良いものでもないと思う。電波を我が物顔で使って意見を押し付けるような演出のバラエティ番組は嫌いだ。(好きなバラエティ番組もある。)
ニュースや災害情報の発信を見ると、テレビの存在意義の多くは公共性だと感じる。娯楽は大事だが、あくまでも用途としてはプラスαなのではないか。もちろんそれがメインディッシュであり続ける世の中であって欲しいけれど。
あと、NHKには教育と総合が存在するけれど、テレビはある種、教養的であるし、教育的な面もあるとも思う。

映像業界で作り手が意識したり、使えるスキルとしてのマーケティングとは何だろう。
視聴者に媚びを売るのも違うし、データの分析だけに追随するのも創造性がない。(そもそもデータは過去であり、過去に出た結果だけを参考にしたら未来的なものは作れないのではないかとも思う。)
しかし、抽象的で裏付けのない理由で視聴率を取ろうとするのは原始的だと感じる。サンプルの少ない経験をベースとする「やり方」はあくまでもその時にだけ通じただけの方法かもしれないからだ。集合知的な積み重なった演出の知恵っていうものがあったとしても。

どうして分析しないんだろう。
最近、本当に驚いたのだけど、ニュース番組のモニターからアンケートを取ったデータが統計処理もされず、ほとんど誰にも目を通されない、分厚いファイルに印刷して綴じられただけの状態だった。
誰も有意義に使わないまま数十年そのままの体制なのだ。参考にされない意見を集めるなんて、善意と労力の無駄じゃないか・・・。

何をどうやって分析すれば、結果を活かせば、マスゴミだなんて言われない、テレビなんかいらないなんて思われない、そういう良いものが作れるのだろう。

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