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希死念慮


小学生の頃から20年くらい「消えたいな」という願いを根底に抱いて生きてきた。

でも実際死ぬのは怖いし、痛いのも苦しいのも嫌だったので行動に移そうとはしていなかった。


先日、初めて行動に移した。

つらくて、悲しくて、しばらく涙が止まらなくて、そしたらふと「今なら死ねるんじゃないか」と頭に浮かんだ。

「今なら死ねるんじゃないか」は、だんだんと「死ぬなら今しかない」に変わっていった。

旦那さんと旅行する予定もあった。
「この日は美味しいものを食べに行こうね」という約束も。
行きたいと思っていた美術館のチケットも取っていたし、
お笑いライブにも行く予定だった。

死ぬという行動をとるまでのわたしは、確かに生きようとしていたし、
ちゃんと未来に楽しみと約束を残していた。


でも「死ぬなら今しかない」という圧倒的好機の前では、楽しみや約束なんて無意味で、無力だった。

気付いたら包丁を手にして自分の胸を刺そうとしていた。
幸い旦那さんが力づくで包丁を奪い取ってくれたが、死ぬことができなかったわたしはその場で泣き崩れた。

包丁を自分に向けた時の光景は鮮明に覚えている。

難しい数学の問題を前に散々唸って考えて、急に解法と答えが閃いた時の感覚に似ていた。
あの時は「死ぬこと」が正解で、その正解を閃いたことも、正解に向かっている瞬間も本当に気持ちが良かった。

「わたしは自分で死に時を選べる人間なんだ」と誇らしくすら思っていた。

咄嗟に手に取った銀色の包丁、白色の照明、台所から見える焦茶のダイニングテーブルと薄緑の観葉植物。
あんな美しい光景は他になかった。


あの時「死」という正解に取り憑かれていたわたしは、未来の楽しみも約束も、旦那さんが同じ空間にいるという当たり前のことすら、きれいさっぱり忘れていた。

声を荒げて駆け寄ってきた旦那さんに腕をつかまれて、そこでやっと「あ、そういえばこの人いたんだった。」と思い出した。

果たしてあれは本当の意味で「死を選択した」と言えたんだろうか。

その後精神科を受診し、現実感消失症の症状が出ていると言われた。

楽しみや約束も、今は「やらなきゃいけないタスク」という感覚でしかないけれど。
死んで何も感じられなくなるよりはマシかな、と思っている。





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