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大丈夫のフタ

自分の力不足を実感した日
帰り道、いつも以上に自分を責める自分がいる。
自信がなくなって、やっぱりダメなのかな?と落ち込む。
考えないようにしていても、考えたくなくても
その出来事が脳内をウロウロする。
ウジウジしそうな弱虫な自分に「大丈夫」って言葉で強めに
蓋をして、そう自分に言い聞かせて今日を生きる

大学時代の恩師が言っていた「大丈夫!って言う奴の”大丈夫”は全然大丈夫じゃないんだよ」って言葉。その時は、よく分かっていなかったけど歳を重ねて意味がやっとわかるようになってきたら、いかにその言葉が重いかを知った。

大丈夫と自分に言い聞かせるたびに、その時の光景が脳裏に浮かぶ。本当にその通りだな。きっと、私は大丈夫じゃないんだけど、大丈夫って言わないとやってられないこともあるんです、ごめんなさい・・・って心の中で謝る。

小さなころから、泣き虫で弱虫だった私は
独立をして自分で生きていくと決めた日から
「自分で選んだこの道を正解にする」ために全力で強がって生きてきた。
誰かにこの選択を失敗だと笑われても気にならなかったけど
一度しかない人生を自分が選択ミスだと思いながら生きることだけは絶対に嫌だった

だから、どれだけキツくても乗り越えた。耐えた。辛いなんて思わないように生きた。そうとでもしないと、上手くいかないと感じた瞬間に自分が崩れていくかもしれないという恐怖心がどこかにいつもあるから。

悲しいことがあった時
辛いことがあった時
本当は泣きたいくらいショックな時でも
ポーカーフェイス。身内にも絶対に悟られないように全力。
苦しい時はあえて一人を選ぶ。

自分がいっぱいいっぱいのとき、仲の良い人から
「頑張っているの分かってるよ」なんて言われる度に実はヤバかったりする。
「ありがとう」とお礼を込めた言葉の次には、あえて自らトークチェンジしているけど、本当は胸が熱くなって瞳の奥の奥では潤んでいる。ただ、そこを深掘られると予期せぬ涙腺崩壊に繋がる未来が見えている。それだけは勘弁。なので、とにかくそれ以上話を進展させない。

「頑張っても、結果が全てだからね」と何度濁したか分からない。
実際に、そうは思っているけどね。頑張っても結果が出なければ意味がないのがこの生き方だ。

弱っている時、誰かの一言がきっかけで私の中にあるギリギリの平常心がブレイクして感情が爆発して弱い部分を曝け出してしまうことがごく稀にある。
本当はそうしてもらった方がいいんだろうけど、基本的に弱い部分は見せたくない。だから、よっぽどのことがない限り、滅多に人前ではネガティブなことでは泣かない。

仲間が悩んでいる時は、いつでも相談してね!と声をかけるのに自分はされないように必死に防衛。

何かあったの?大丈夫?元気ないじゃん?
などと誰かに聞かれたり勘付かれることは
絶対に嫌で。その瞬間を生まないためにも
適当に誤魔化して、話をすり替えながら
「全然大丈夫」と何もなかったかのように笑う。

「大丈夫」という魔法の言葉が私を強くする
大丈夫と言えば、自分の感情に蓋ができて
スルーすることができるから。
心の中の雨は小雨程度なのでまだ傘はいらない。
小走りなら濡れずに済む。
大丈夫と自分に言い聞かせる、思い込ませるように繰り返す

そんな繰り返しの中で生きていると、次第に自分の心が大丈夫かどうかなんて考えなくなる。
そもそも大丈夫じゃないと言ったところで、自分が動かねば、前進せねば未来は変わらないのが現実だ。

ちなみに「大丈夫じゃない」と泣いたところで、お金が動くことはない。
明日の飯も保証されない。
だから、泣いている暇があるなら、動く。落ち込んでいる暇があるなら、動く。それが私が選んだ生きる道。そうやっていつも自分を律して、自分の中にある「悲しい」「苦しい」「辛い」を無視していたらある日ツケが回ってきた。

自分が気づかないうちに、限界という名の水が溜まりににたまって
本当に些細なことでも傷ついたり自信をなくす弱虫な自分が顔をだす。
それでも、その場は笑ってやり過ごし、
帰宅中の車の中か、寝る前に浴びるシャワーの中か、真夜中の布団の中で自然と涙が頬を伝う。その瞬間にようやく自分が結構弱っていたのだと気づく。


弱った自分を包み込んでくれる人の暖かい言葉や温もり、もしくは
弱った自分に突き刺さる無力さを痛感する失敗やダメージが
きっかけとなって、バルブが開いてダムが決壊したように涙が止まらなくなる。

涙腺バルブの開閉機能はぶっ壊れ
心につっかえた沢山の苦しみが涙と一緒に溢れ出す。

女は、意外と泣いたらスッキリしてまた前を向ける生き物だ。
自分もその類。選手が行き詰まって苦しんでいた時は、あえて泣かせることも多かった。そうするとスッキリして次の瞬間には未来に向かって動き出す子も多かったから。そんなケースをたくさん見てきたのに、むしろ自分もそうやってここまで来たのに、ここまで強がる理由が自分でも分からない。
分かっているけど、気づきたくない、認めたくないだけなのかもしれない。

本当の本当は大丈夫じゃないけど、
「悲しい」って言える強さが私にはないの
「辛い」って泣き顔見せれる強さがないの
強いから弱音吐かないんじゃなくて
弱っている姿を人様に見せられるほどの強さが私にはないの。
弱い自分って思われたくないんだろうね。
ちっさいちっさい弱虫のプライドが無意味にここで顔を出す。
そんなことにも気づかずに、今日も明日も大丈夫って私は平然を装う。

だから、いつも自分の中で消化して、潰れるかも?なんて考えてもなくて
自力で解決することに慣れてきちゃったんだよね

強がりってしんどいよね。誰にも頼まれていないのにね。
辛いって泣ける女の子が羨ましいと思うこともある。
自分の感情を出すことができる人がいいなって思うこともある。

ニコニコ・キラキラはぶっちゃけいくらでも演出で誤魔化せる。
それを虚像とは言わないけど、それが全てではない。だって人間だから。
陰と陽が必ずある。ネガティブもポジティブも持ち合わせていて当然だ。

もうちょっと強くなって、身内には弱音や本音を隠さずに話せる自分になりたい。
本当は気づいているよ。
大丈夫って魔法の言葉じゃないってこと。
自分を守ってくれるわけじゃないし、自分を強くしてくれるわけじゃない。
だから、本当は、辛い時に「大丈夫」って蓋はなるべくしない方がいい。

でも、無理なのよ。頭では分かっているけど、
「大丈夫?」って聞かれたら
「大丈夫」って言うしかないんだよね。強がり女って。
弱いところなんて見せたくないから、必死に大丈夫って強がるけど
「大丈夫」って言う人の大丈夫は、本当の大丈夫じゃないからね。

泣いてばかりいたのに、泣いて生まれてきたのに、
いつから人前では泣きたくないなんて思うようになったのかな。

それでも、心では思っているんだよ。
いつか愛する人の胸の中で「辛い」って泣ける強い自分になれますように・・・。

Be Strong….



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