フクシマ・セルフスタディーツアー~事故後初めてフクシマを訪れた。~④大野駅周辺を歩いてみた。
0. ③までのこと、これから書くこと
大野駅周辺を見てみたいと思い、私は浪江駅にて14時27分にいわき方面行きの常磐線に乗り、大野駅へ向かった。④では私が実際に大野駅周辺を歩いてみた感じたこと、思ったこと、考えたことについて書いていく。
1. 大野駅に到着
常磐線が大野駅に着いたので、私は降りた。降りた直後の被曝量知りたかったので、私は首もとに身につけていた個人線量計を見た。個人線量計は0.15μSv/hを表示していた。
大野駅構内に入ると、空間線量計もあった。
駅構内は無人状態であり、私は「双葉駅構内と似たような感じだな。こちらの方が人気が無い感じがするけれど。」と思いながら外へ出る出口を探した。黒い熊のキャラクターがカーシェアリングを案内している立て看板の傍に出口があったので、私はそこに向かった。
2. 大野駅周辺を歩く。
大野駅構内を出た後、自分の思いのつくままに大野駅周辺を歩いてみた。この日は日曜日だったためか、除染作業を行う人々は1人もおらず、トラックだけが停まっていた。トラックが停まっている傍で民家を写真撮影した。下の写真にある左側の民家は障子が破れたり戸が壊れたりしている。
写真を撮り終わった後、更に歩を進めた。とある民家風の建物が目についた。2階の玄関らしき場所から雑草のような植物が伸びていた。建物は「フラワーショップ花道」というらしい。
「この建物は元々お花屋だったんだな。」と思いながらフラワーショップ花道を過ぎた後、別の建物が目についた。外側から見ると、窓ガラスが割れており、内部も散らかっていた。内部をもっと見たくて建物の中に入ろうと思ったが、目の前に小蝿のような虫が無数に飛んでいて気持ち悪くなって断念した。
少し残念な気持ちになりながらも歩を進める。
壁と窓にツタが伸びている民家があった。
原発事故が発生して以来放置されているのか、ツタが毒々しく民家を覆っていると思った。
私は更に歩を進めた。外観は一見壊れていないように見えるけれど障子が破れている民家を発見した。
上の民家を写真撮影している時に、自分の首もとの個人線量計が目についたので確認した。この時の被曝量が1.03μSv/hを示していたので、私は内心慌ててこの場を離れた。
私は更に歩を進めた。以下の写真の民家も、内部が散らかっていた。
「この民家も震災と原発事故当時のままなのかなあ?」と思いながら、私は歩を進めた。
外観は一見壊れていなくても内部があれたように散らかった建物を何軒も見て、改めて震災と原発事故の被害の甚大さを私は実感した。私は再び歩を進めた。
上の写真を撮影して、広野駅から双葉駅まで伸せて下さったタクシーの運転手の方が「原発事故当時のままになっています。」と言っていたことを私は思い出した。私は「まさにその通りさだな。」と思いながら歩を進めた。歩を進めていくと、立派な建物が目についた。傍にあった白い案内板には「大熊町図書館」と書かれていた。「なるほど。ここは図書館だったのか。」と思いながら、時計に目をやると、私は少し衝撃を受けた。時計の針が11年8か月前の地震の発生時間である14時46分を指したまま止まっていると思ったからだ。「この時計の針は本当に14時46分を指しているのだろうか?」と思いながら、私は写真撮影をした。
私は大熊町図書館を離れ、更に歩を進めた。大野駅構内を出て以来、たまに遠くに住民らしき人が見えたり、自家用車や原子力災害対策本部のトラックが道路を走ったりする程度の大野駅周辺の人気のなさに寂しさと心細さ、悲しさを感じながらも、私は「もっと見るべきものは無いのか?」と思って歩を進めた。
3. 「こめ太郎」と「コインランドリーおおくま」
歩を進めていくうちに、或る建物が目についた。「こめ太郎」と「コインランドリーおおくま」だ。
こめ太郎もやはり外観は壊れていないようだが、内部が壊れていた。こめ太郎の傍にコインランドリーおおくまがあった。この建物も外観はそこまで破壊されていないが、入口付近に割れたガラスの破片が散らばっていたり、傍にある自販機が壊れたりしていた。
「中に入れそう。」と思って、私はコインランドリーおおくまの中に入っていた。中に入ってすぐ、私は「ここも原発事故当時のままなのだな。」と思った。
コインランドリーおおくまの内部は、入口を入った右側に雑誌等の置かれた憩いのスペース、左側に複数の乾燥機と洗濯機、両替機、自販機があった。コインランドリーおおくまの内部も地震と原発事故の痕跡が生々しく残っていた。
憩いのスペースと思われる場所は、地震の影響なのか、たくさんの雑誌が床に散らばっていた。
乾燥機と洗濯機のスペースでは、「ここにいた人達は地震発生直前まで乾燥機や洗濯機を回していたのかなあ?」と思われる様子がいくつもあった。
入口を入って左奥に両替機があった。私は、この両替機は、地震の影響で中身が飛び出したのだろうか、それとも地震と原発事故の後に誰かがこじ開けたのだろうかと思い巡らした。
両替機の向かい側には自販機が倒れていた。
私は改めて憩いのスペースと思われる場所を見てみた。雑誌が床に散らばっていた箇所から右側に向かうと、腰をかけるためと思われるスペースや雑誌類、子どものおもちゃがあった。子どものおもちゃを見て、私は「地震や原発事故が起こる前は、子どもを連れて洗濯しに来た人達がいたのかもしれないな。」と思った。
憩いのスペースを更に見ていくと、ミニチュアダックスフンドの里親募集のチラシが壁に貼られているのを見つけた。
入口近くには、トトロとくまのプーさんのぬいぐるみがあった。荒れたコインランドリーおおくまの中で、トトロはニッコリと笑っていて、プーさんは眠るような穏やかな表情をしていた。
「トトロもプーさんも原発事故が起きてからずっとあのままだったのかな?」、「地震や原発事故が起こる前は、ここにはどんな人達が来ていたのだろう?」、「洗濯機や乾燥機を回している間、ここにいる人達はお喋りしたり雑誌を読んだりしていたのかな?」、「子どもを連れてきた人達は、洗濯機や乾燥機を回している間に子どもを遊ばせていたのかな?」、「地震が起きた時、ここにいた人達はどんな様子だったんだろう?」、「原発事故が起きたと知った時、ここにいた人達はどんな思いだったんだろう?」、私はこれらのことを思いながらコインランドリーおおくまを出た。その時にまた首もとの個人線量計が目についたので、私は個人線量計を見た。個人線量計は0.76μSv/hを表示しており、「思っていたより被曝量が高い。」と驚いた。
個人線量計の数値にまたもや慌てながらも、私はコインランドリーおおくまの傍にあった壊れた自販機をよく見てみたいと思った。私は自販機に近づいた。
「この自販機も原発事故当時のままなのかなあ?」と思いつつ、また個人線量計を見ると、個人線量計は1.04μSv/hを示していた。
「さっきよりも被曝量が高い。」と驚き、私はやはり慌てて壊れた自販機から離れた。その後、「ここはもう被曝量が高いから別の箇所を見よう。」と思い、私はコインランドリーおおくまを離れた。コインランドリーおおくまの傍にあった建物にも、地震と原発事故の痕跡が残っていた。
4. 大野駅に戻り、いわきへ帰る。
コインランドリーおおくまから離れた後、私は大野駅周辺を見て歩きながら大野駅に戻った。
時間を見たら、16時を過ぎていた。私は、「この後は富岡か夜ノ森に行こうかなあ。」と思い、スマートフォンで時刻表を確認した。しかし、今から富岡か夜ノ森に行っても、帰りの新幹線の時間までカツカツになることがわかった。それに、29日から続く歩き疲れによる脚の痛みもあった。私は「富岡町を見て回れないのは残念だけれど今回はここで帰ろう。」と思って、いわき方面行きの常磐線がとうちゃくするまで大野駅構内の待合室で休んでいた。
16時56分、いわき方面行きの常磐線が大野駅に到着したので、私は乗車した。乗車中は席でボーッとしていたが、常磐線がいわき駅に着きそうになると、私は首もとの個人線量計を外して、29日及び30日の積算線量(被曝量)を確認した。個人線量計は、4.449μSvの積算線量(被曝量)を示していた。
積算線量を確認した後、常磐線が完全にいわき駅に到着したので、私は降車した。いわき駅のホームに降りた後、私は宿泊していたホテルに向かい、預かってもらった荷物を取りに行った。荷物を取りに行った後、私はいわき駅に戻り、予約していた帰りの新幹線の時間までいわき駅構内にいた。
18時17分、品川行きの新幹線が到着したので、私は乗車し、自宅へと帰って行った。
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