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「大切なもの」と「大切でないもの」

こんにちは、春を満喫しています
今日は一人で過ごしている時間に感じたことのシェアです
前回の問いの優先度にも関わるのかもしれません

大切なもの、大切でないものに疲れた

「それって大切?」という問いを私は自分によくしますし、されますし、「本当に大切なことを大切に云々」というお話を聞いたりもします

目標達成だったり何かを形にしようという時には特に「大切なものが何か」を聞きたくなります

でも、私自身は多分それにずっと違和感を感じていたのかもしれません

あなたは大切なもの?
あなたは大切でないもの?

最近は特に、この分け方がしっくりこなくなってしまって「大切なことを言います」をどう捉えればいいのやらと一瞬うっとなってしまったりします

赤ちゃんや花とか虫もしない動物にもそういうものはなさそうだし、もちろん川や海や空気にもそんなものはない

宇宙に人格みたいなものを持たせたがる人たちのように宇宙に何か意図があるとして、大切かそうでないかというものを持っていると思えない

私は眠りに落ちる前には大切かどうかがない世界にいられます
圧倒的な自然を目の前にしている時にも大切かどうかなんてものから離れられます

大切か否かという捉え方がどの国の人にもあるものでも、どの時代にもあったものとも思えないのに当たり前のように使ってしまう自分自身に違和感があります

人生に不足感がある時には
「大切なものと、そうでないものを分けなければ」という考えに私は取り憑かれています

何かを強調したい時に、重みをつけたい時に 大切だと言いたくなる
それで不足感は見えなくなる

今は目の前のものを大切かどうかなんてことを考えることにゲンナリしているし、相手にとって私が大切なのかどうかもどうでもいいと思うのです
ある意味どの人も最大限大切にしてくれているし私もそうしている過不足無しの状態

お気に入りのものはあるけれど、私にぴったりなだけ

目の前のものが、ただあると思える時が目の前のものとの最適な状態な気がしています
それが充実して幻想がなくて素直なつながりなんじゃないかしら



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