小さな星の小さな生命体のたわごと
長い長いコロナとの戦いもようやく終わりが見えてきました。そう、私は8月末にコロナにかかり、5日間の外出禁止令を受け、丸々その期間ずっと屍のように高熱と戦い、その後は咳と頭痛と倦怠感、いわゆるコロナ後遺症と戦うことになったのであった。
ようやくそれも良くなってきたかなという自覚はあるものの、まだまだ身体は「絶好調!」というわけにはいかず、毎週行っていたヨガも休みがちだし、新しいイベントにも気が乗らず、(はるちゃんには返信しているのでこれはオフレコなのだけど)LINEも実はコロナ感染中のころからずーーっと返信していない相手がいたりいなかったり……。
以前のようにはあまり騒がれていないけれど、巷では一応第9波だとかいわれているらしく、学級閉鎖も相次いでいるのだとか。メンタルに不調を感じる人も増えてきているようで、それを考えると私は今までどおり脳内HAPPYで過ごしているので、まだましかーと落ち着かせる日々です。(苦しんでいる人と比較するというのも申し訳ない話だけれど)
タイミング的にはちょうど転職を考えていた時期で、そんなときにこの疲労感は全身から活動力を奪っていくから結局なにも動けずつらい。いつもならプロフィールの登録はもちろん完了していて、1社か、もしかしたら2社くらいはエントリー済み、そして運が良ければすでに1次面接くらいは進んでいるはず。コロナが憎い……。
いつも「ええいもう限界だ!今すぐにでも辞めたい!」と思ってから転職活動を始めるタイプなので短期決戦型なのだが、今回ばかりは長くかかりそうである。それにくわえて、年齢的にもそろそろボーダーに引っかかるようになってきてしまったので(特に女性のボーダーは低い)、いったいいつ今の会社を辞められることになるのか……。
というような、個人的な壁(というほどでもないのだけど)に直面するといつも思うのが、めちゃめちゃ月並みなんだけど、「世界はとても大きくて、ましてや人間以外の生命体も多く存在するなか、私がいま人間社会でうまくいっていないなど、あまりにも些末な問題だよなぁ」ということ。
というようなことを考えているときに、まさしくはるちゃんの日記に『ファンタスティック・プラネット』が登場して、なおさら強く自身がちっぽけな存在であることとその安心感を覚えてしまった。
先にLINEで伝えたけれど、ファンタスティック・プラネットはとても気になっている作品のひとつで、少し前に期間限定で上映されていたときも観に行くつもり満々だったのが、まぁタイミングを逃して行けなかったわけである。
アマプラで配信しているのは知らなかったので、この機会についに観てみたいと思いつつ、いかんせん今はまだ、これ以上疲労感を増やすような作品は避けたく、人間を虫けらのように扱われてしまうような描写は脳が拒否しそうだから一旦寝かせておくことにする。
本当に最近はNO脳、脳を一切使わないような映画ばかり観ている。『ウェディング・ハイ』とか『土竜の唄』とか『とんかつDJアゲ太郎』とか……。こういう作品が一定数製作されることのありがたみが、こういうときに五臓六腑にしみわたるね。
あと、なにかしようと思いながらなにもできないときも、なんとなく「映画を観たぞ」という充足感が得られるので、映画って本当にいいもんですね~(水野晴郎)。
ところで話が変わるけど、同じくはるちゃんが日記に書いていた『聖なるズー』という本の話、ちょうどここ数年、動物性愛者について考えることが度々あって、このタイミングでトピックに挙げてくれたことに少し痺れました。(今度語りたいといっていたので、ぜひお願いしたい)
ちなみに私は彼らのことを「ズー」ということも知らなかったのだけど、そういう愛のかたちがあるということは知っていて、それはそうと、一猫好きとして猫や犬を当然のように「ペット」として扱い、「愛玩動物」とカテゴライズすることに違和感があり、動物をパートナーにする人たちのほうが本当に愛しているんじゃないかな、などとたまに考えるのだ。
とはいえ、積極的になにかそういったことを研究している書籍を読んだり、調べたりすることなく、勝手にふと脳内をかすめる程度の思いなので、今までだれかに言うこともなかったのだけど。
保護猫や保護犬(ちなみにねこをパートナーにする人がいるかどうかは知らない)活動など、自身の生活より優先させて向き合っている人もいて、それは私が言うまでもなく立派なことだけど(もちろん自身の生活を優先させていても、そういう活動をしていることが立派で尊い)、その先にある「ペットにしてかわいがる」という行為になんとなーく違和感が……。
といっても、野良では生きられなかったり危険も多いから、批判、否定するつもりは毛頭ないのだけど。そもそも、動物たちにとっては野良でいることが野生の姿に近いのに、車を増やしたり、動物をいじめる人が出てきたり、危険な目にあわせているのは人間にほかならなくて、なんだか今の動物と人間との関係性(動物園にも違和感がある……飼育員は立派な仕事だし、できる限りストレスを軽減させて過不足ない生活を送れるよう尽力されている素晴らしい施設だと思う一方で)に「本当にこれで合っているんだっけ?」とたまに疑問が生まれるのだ。
という私の思いも、結局ファンタスティック・プラネットの巨人から見たら本当になんでもない、歯牙にもかけない思想なんだよなぁ。
自分がちっぽけであると自認することは、社会生活を営むうえでなにかと無意識のうちに抱え込んでしまいがちな責任から解放されるようで心地よさも覚えるけれど、責任はあまりに手放しすぎると社会に戻れなくなってしまうからバランスを取るのが難しいなぁとも思う。
そういう覚悟があればなんの問題もないけれど、私はまだ人間生活にしがみついていたいので。
まぁつまりは、つべこべいわずにまず転職活動をしろという話ですかね。
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