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失礼とともに生きてきた

思い返せば、あれって失礼だったなぁ。
今更だけど申し訳ないことしたなぁと思うことがある。
コミュニケーションが下手だ、と思うこともある。
だから、失礼とともに生きてきてしまった。

恩を仇で返すという失礼

どうしてもコピーライターになりたくて、Twitterでコピーライターの人を探していきなりDMを送った。ここから失礼が走り出した。「こんなにコピーライターになりたいんです。コピーライターになるためにコピーライターの人の話を聞かせてください」この時点ですでに失礼に膝まで浸かっているんだけど、なんとその方はわざわざ僕に会う時間を取ってくれた。

ご自身が働いているコワーキングスペースに呼んでくれて、
なぜコピーライターになりたいのか。どんなコピーが好きなのか。自分がどうやってコピライターになったのか。と、30分くらいかけて話を聞いてくれた。

色々話して、最後にありがとうございましたと言うか言わないかのタイミングで「僕を雇ってもらうことはできませんか?」と大失礼なお願いをしてしまった。鼻息荒く発信した失礼機関車は、自分以外誰も見えていない。もはや失礼を通り越して馬鹿だ。見ず知らずの学生の、どんなことができるかもわからない学生を雇うわけがないのに。
もちろん答えはNOだった。「自分が働くのも精一杯だし、採用というのはその人の人生に責任を持つことでもある。私はあなたの人生に責任を持てない。」

その日の夜Twitterを見ていたら僕のことが書いてあった。内容は忘れたけど、せっかく時間をとってやったのに失礼なやっちゃなぁとオブラートに包まれて書かれていた。

熱意の押しつけという失礼

どうしてもコピーライターになるのが諦めきれなかった僕は、次の武器を手に入れた。Facebookだ。Facebookには本名だけでなく勤務先や職種まで書かれているケースがある!最強だ。
コピーライター養成講座に通っていた僕は「終了生の声」という養成講座を卒業して、活躍している人へのインタビューを見ながらひらめいた。名前検索すればいいんじゃね?

天才だと思った。予想通り何人かはFacebook上で見つかり、お名前や職種からもご本人だとわかった。

メッセージ送ったろ!

ウッキウキでメッセンジャーを開いて7行も8行もあるメッセージを送った。ラブレターか。
終了生のみならず、養成講座の講師にも送った。シャイか。直接喋れ。
結果、惨敗。むしろ当然の結果。
修了生からはもちろん返信がなく、講師からは4ヶ月後に「今気づきました!頑張って!」とだけ返ってきた。

その後もこの熱意押し付けグセは直すのに苦労して、働いてみたい会社や話を聞いてみたい人が出てきたら、クライアントへの経緯報告書みたいな長文メッセージを送ったりしていた。
いまなんとなく過去に送ったメッセージを見返したら43行もあった。文字数を数えたら1011文字だった。気持ち悪すぎる。むしろ怖い。

言葉足らずという失礼

なんとかコピーライターという肩書をつかみとって、ある撮影の仕事でのこと。カメラマンさんと移動中、無言に困り果てた僕は「そういや〇〇さんってなんでカメラマンなったんすか?」と聞いた。つっけんどんの剛速球のような質問にもそのカメラマンさんは丁寧に答えてくれた。

一時期ボウズだったこともあるくらいロックな女性カメラマンだけど、意図のない質問の意図を精一杯汲み取ろうとしながら答えてくれた。そして「逆になんでコピーライターになろうと思ったの?」と聞いてくれた。

その時、あ、これは優しさだと思った。失礼で中身のない質問をしてきた人間に、失礼だよとたしなめることなく気づかせるための優しさだと思った。

失礼とともに生きる

こんな風に、僕は失礼と二人三脚で生きてきたような人間だ。
無知で、人のことを考えられないから、
「これは失礼なんだ」をいくつもの失敗を経験しながら学んできた。
それでも3日前のやり取りの言い方を後悔することもあるし、いまでもメールを書くのが苦手だ。ただ、失礼とともに生きてきたからこそ、失礼には強い。一般的には失礼な言い方をされても気にならないし、無意識な失礼に目くじらを立てることもあんまりない。この鈍感さのおかげで気に病むことも少ない。

だからこそ、なのか。
僕は、僕と関わってくれた人と、できるだけ丁寧に関わりたい。
いろんな失敗を経験して、
なおこんな僕を頼ってくれたり、仕事を依頼してくれたり。
遊んでくれたり、好きになってくれたり。
そうした人たちと真っ直ぐに向き合って、全力で付き合って、
何かを返していく。
それが、失礼な僕の失礼じゃない生き方だと思う。


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