自己紹介その2‥少し掘って‥私と母

「ひとりっ子」で育ったこと‥
私にとってkeyだったのではないかと思います。
良くも悪くも両親は、私の全てに影響を与え続ける存在です。
亡くなってしまった今でも‥

〜私の希望だった母〜
母は雪国で生まれ、色白で目が大きく、小柄ながらスタイルの良い女性でした。当時の写真が残っています。納得😊
けれども若くて美しい盛りの20才前後に大病をし、生きるために化学療法ではなく外科手術を受けます。主治医がメスを入れることを躊躇った程、美しい肌の持ち主だった母は人生のスタート地点で恋愛も結婚もまして出産も諦めかけたわけです。
後遺症もあり出産は難しいといわれたなかで2度の流産にめげず3度目の妊娠で待望の娘を得ます。それが私です。母親になれる唯一そして最後のチャンスをものにした母。どれほど嬉しく、誇らしかったことでしょう。
見える世界の色は一変し、その場でピョンピョン飛び跳ねて直後に走り出したいような気持ち‥になったのではないでしょうか😊
私の想像です。

母は私を「大切」に育ててくれました。
命懸けでやっと授かった娘‥
ともすれば感情に任せて(まるで自分の所有物であるかのように)溺愛したとしても不思議ではありません。

今から50年以上も前。
母は私に今で言う「人権」を尊重した子育てを実践してくれました。
大人の都合を押し付けるべく嘘をついたり、物事を誤魔化したりすることは一切なく、いつ話しかけても穏やかな笑顔で優しく誠実に向き合ってくれました。
そんな母を私は信頼するとともに恐れました。

この人に嫌われたら生きていけない‥





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