もし明日余命を告げられたら。

今日は親友と映画を観て、お買い物して、
夕食に美味しいワインと餃子のお店へ。
新しい炊飯器を買うか土鍋を買うか
みたいな他愛の会話をしながら楽しんだり、
近況報告をしていたら、
近しい人ではないけれど、
一方的に知っているだけの人だけど、
その人の"死"に触れたことを
大粒の涙を流しながら話してくれた。

そこから私たちは、
自分たちの"死"への価値観を伝えた。

元々、親友の彼女は"死"に対する恐怖感が
人一倍あり小説や映画も避けるほどだ。
一方の私は、結構"死"について
積極的に考えることが多い。
どんな風に向かっていきたいか。
想定内に進まないことは重々承知で
ある程度の想定をしている。

そんな中で私は、
もし明日余命を伝えられたとしたら
親友には1ヶ月に伝えたいことや
親友の旦那さんにも同席してほしい。
そして、私がこの世を去ったとしたら
お願いしたいことがあった。

フィクションで描かれる作品でも
"死"に対して私も涙を流すが
それよりももっと純粋に受け取って
目を腫らせて涙を流す彼女にその事を
話すタイミングはなかなか無かった。
でも今日その瞬間は、突然来た。

私の考え、想い、願い、
どういう結論(現状)に至ったかも
飾らず自分の言葉で伝えることができた。
そしてまた新しい学びがあれば
アップデートして大幅な変更が
あるかもしれないことも話せた。
3年ほど温めていた。
彼女は、しっかり私の目を見て
大粒の涙を流しながら
"任せて。最後の願いを全うすることで
貴女の"死"をきちんと受け入れそう"
と話してくれた。

逆に親友は何も残さないと宣言もした。
その残さない選択をした親友の"死"は、
「最後まで貴女らしい生き方やわ」と
敬意を払って拍手するわ!と約束した。

そして、この会話をこの先40年50年と
続けて行きたいと約束ではなく確認し合った。

かけがえのない存在。
愛してるぞー!
2024年 春分の日

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