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岩戸閉め、岩戸開き

岩戸閉め、岩戸開きという言葉は日本の古い書物に記されています。
 
私の読んでいる日月神示にも岩戸閉め、岩戸開きについて記されている箇所があります。
 
では岩戸閉め、岩戸開きとは何を意味しているのでしょうか?
 
簡単に言うと岩戸閉めとは分離のことで、間違った理解による混同混乱を意味します。
 
岩戸開きはそれらをやめることです。
 
全体しかないのに、個人があるという思いも分離により生まれています。
 
相反するものを別のものとして見ることも分離により生まれています。
 
憎む心、嫌う心、裁く心も分離により生まれています。
 
全ての不幸の元凶は間違った理解、つまり無知によるものだとグル(導師)達は言います。
 
無知なだけで、ただ知らないだけで無いはずの不幸を真面目に抱え込んでいる・・・そんな生き方をしているのが現在の世界の人達です。
 
故に岩戸開きが必要と言われるんです。より多くの人の岩戸が開かれるほど、世界は調和的に変化してきます。
 
全ての人の岩戸が開きっぱなしになれば八紘一宇、世界一家の完成です。
 
以下は師匠の岩戸閉め、岩戸開きのついてのお話です。
 
 
【師匠の教え】
一番目の岩戸閉じ、陰陽別れた混乱が岩戸閉じで一が二を生み、三を生み無限を生み出していった。

分別の壁、混乱。

二番目の岩戸閉じ、一から二が生まれ無限生まれることで始めが隠れてしまう。

これが通常言われる、岩戸の中に天照大神が隠れてしまうと言う岩戸閉じです。

私を見失う混乱は壁。

三番目の岩戸閉じ、天の神々の理解が足りず間違ってしまったこと。

理解が足りない混乱は壁。

四番目の岩戸閉じ、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたから、これも混乱(壁)が生まれた。

五番目の岩戸閉じ、仏教と共に仏魔渡り来て完全に岩戸が閉めと書かれています。

ですが仏教と神道が混ざった時と言えます。

これも混乱(壁)だ。

さて五回の岩戸閉めを取り上げて見て言えることは、分離の壁。

壁とは混同混乱で見失うことが岩戸閉じです。

分離を仕切る、内外上下前後右左の八つを仕切る壁を内と外の和合、上と下の和合、前と後ろの和合、右と左の和合、内と外の自分、横の自分、縦の自分の分離の壁を開き立体的私の統一をはかり、分離を超え、水に溺れず火に焼かれない生死を超えた私を見つけること。

これを天照大神の岩戸開きと言います。

一切が私と成る(ナル)と言うことです。

これが内面的岩戸開きで内面的岩戸開きに伴った外面的働きが外面の岩戸開き。
 
《岩戸閉め》
日月神示
【碧玉之巻 10帖】
(一の岩戸閉め)
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理、わかるであろうがな。
その後独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申すまでもないことであろう

(二の岩戸閉め)
次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、騙した岩戸からは騙した神がお出ましぞと知らせてあろう。

(三の岩戸閉め)
次の岩戸閉めは素盞鳴命にすべての罪を着せて根の国に追いやった時であるぞ、よろづの天の神々が積もる(という)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ

(四の岩戸閉め)
神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。
神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸に隠して神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイハレヒコノミコト)として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

(五の岩戸閉め)
仏教と共に仏魔わたり来て、完全に岩戸が閉められて、暗闇の世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。

 
日月神示
【梅の巻 11帖】
外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度ざぞ、わかりたか。
それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ
 
《岩戸開き》
日月神示
【碧玉之巻 9帖】
今度の岩戸開きは五度の岩戸閉めを一度に開くのであるから、人民には中々に理解出来んことに、折り重なってくるから、何事も神の申す通りハイハイと素直にきくのが一等であるぞ。
 
【扶桑之巻 4帖】
空白とは九八九であるぞ、八と九、九と八の境を開くことが岩戸を開くことぢゃ空白とは最も根本を為す最も力あることであるぞ。
 
【黄金の巻 99帖】
信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。
岩戸ひらけるぞ。不二晴れるぞ。
 
【扶桑之巻 3帖】
岩戸の開けた、その当座は不合理に思えることばかりでてくるぞ、逆様の世界が、この世界に入り交じるからであるぞ
 
【扶桑之巻 5帖】
数に囚われるとわからんことになり、岩戸閉めとなるから気つけおくぞ。
 
【扶桑之巻 13帖】
中の自分を掃除しないで居るといつまでたっても、岩戸が開けていても岩戸は開けん。
 
【扶桑之巻 15帖】
岩戸が開けて、わかるようになったのぞ
 
【碧玉之巻 1帖】
立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう、漸次(ぜんじ)輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸開きぢゃ。