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望ましくないことも解決出来るから与えられる

人にはなぜ他の生物にはない繊細で、精密極まりない肉体が、心が与えられているのでしょうか?

日月神示では人は神の入れ物と言われています。

つまり人は神の行為を行うものだということです。

皆さんもよく考えてみて下さい。

あるもの一切はなぜ存在しているのか?

存在することの意味は何なのか?

神の心は歓喜、弥栄であり、親心とも言われます。

自分が親という立場で子供を見て下さい。

無邪気に生きている子供を見て、どうなってほしいと思いますか?

どのように接しようと思いますか?

より良くなってほしいはずです。

幸福になってほしいはずです。

苦しみ、悲しみとは無縁になってほしいはずです。

それを一切に対して持っているのが神心です。

神は私たち人間に様々なものを与えます。

私たちに起こる望ましくないことも神から与えられた試練であり、またギフトであります。

故に起こること一切に感謝しつつ、処理していかなければなりません。

また場合によっては大きなメグリを背負うことになりますが、それも処理出来るから与えられるに過ぎません。

神は必要なものしか与えないということを忘れないで下さい。

以下は日月神示の一文です。

日月神示
【春の巻 24帖】
自分捨てて他力なし。
人民なくてこの世の仕事出来ん。
人民は道具ぢゃ。
神は心ぢゃ。
元ぢゃ、元だけではならん。
道具だけではならん。
大神は一切を幸し、一切を救い給うのであるぞ。
一切が神であり一切が喜びであるぞ。
その人民にメグリなくしてもメグリ負うことあるぞ。
人類のメグリは人類の誰かが負わねばならん。
一家のメグリは一家の誰かが負わねばならん。
果たさねばならん。
善人が苦しむ一つの原因であるぞ。
神の大きな恵みであり試練であるぞ。
わかりたか。
愛するものほど、その度が濃いほど、魂が入っているのぢゃ。
先祖が大切にしていたものは大切にせねばならんぞ。


【雨の巻 1帖】
この度の岩戸開きは人民使うて人民助けるなり、人民は⦿(かみ)のいれものとなって働くなり、それが御用であるぞ、いつでも神憑(かみか)かれるように、いつも神憑かっていられるようでなくてはならんのざぞ。
⦿の仕組いよいよとなったぞ。