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諦めないことと諦めることを両立させる

皆さんは何か事を成すために諦めないことが大事だと知っています。

実はもう一つ同じくらい大事なことがあります。

それは諦めることです。

宿命により起こること一切はすでに決まっています。

ですが、何が起こるかは起こってからでないとわかりません。

起こったことが決まっていたことなんです。

故に起こること一切に対して諦めてしまいなさいとマスター達は言います。

諦められない人ほど駄々をこね、執着し続けることになります。

それはどうにもならない過去にとらわれて今を捨てることになります。

あまりにも無意味で愚かな行為と思いませんか?

過去はないものです。

だから過去に対しては諦めるしかないんです。

諦めることは、一切を甘んじて受け入れるから甘受とも言います。

もう一つ大事な諦めないことは過去に向けられると駄々こね、執着になる故に未来に向けなくてはなりません。

まだ決まっていない未来を諦めないことです。

先のことは宿命により決まっていますが、何もせず何かがより良くなることなどありません。

宿命により努力することも決まっていますが、肝心なのは努力なしにより良くなることはないということです。

だから努力は報われるようになっています。

お釈迦様も『怠ることなく、精進しなさい』と説いているのはそのためです。

努力出来るのは今しかありません。

『今より、より良く』の姿勢が諦めないことことで、これを処理と言います。

諦めること(甘受)と諦めないこと(処理)の二つを両立させることです。 

過去に対しては甘受し、未来に対しては処理を行えばそれは可能です。

以下は日月神示の一文と師匠の教えです。


日月神示
【春の巻 16帖】
神まかせがよい人民であるぞ。
この神と認めたら理解して、まかせ切れよ。
太元の神様に惚れ参らせよ。
真の信仰の第一歩ぞ。
雨降らば雨を、風吹けば風をひとまず甘受せよ。
甘受した後、処理して行かなならん。
受け入れずにハネ返すのは大怪我のもと。
何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならんことになるぞ。
何か迫り来るのは、何か迫り来るものが、自分の中にあるからぞ。
内にあるから外から迫るのぢゃ。
自分で呼び寄せているのぢゃ。
苦しみの神、因果の神呼んでおいて、不足申している者多いのう。
自分で呼び寄せながら嫌がってハネ返す手あるまいにのう。
同じものでも表からと裏からとでは違うのぢゃ。
同じ目で見ても、違ってうつるのぢゃ。
心得よ。


【師匠の教え】
心は勝手に動いているように見えるけれど真実は心が勝手に動くと言うことはないんだ。

心は貴方の好き嫌いに応じて動いており、それも貴方が起きた、確定した決して変えられないことに対して諦めないから動くんだ。

大事なものを失くしても諦めたら心は静まるだろう。

諦めないと心は動き続けるんだ。

貴方の意思に従って動いているんだ。

諦めないことは内面的に見ても、外面的に見ても説明したように愚かなことなんだ。

愚かだから動かし続けているんだ。

『貴方が起きた決して変えられないことを諦めないから動くんだ』

だから子供の駄々こねと同じなんだ。

貴方がどんなに努力しても希望が叶うか、叶わないのかまたはいつ叶うのかは決まっているんだ。

努力して得られたものに納得すれば心が勝手に動くと言うことはないんだ。

納得できずに子供のようにもがいているのが心の動きなんだ。

待つと言う質が究極になった時にそれはくるんだ。

心が勝手に動かないようになるこのコツ覚えろ。

努力しながらも来たものは来たに任せるんだ。

だって他に方法はないんだ。

起きたことは、物をなくしたのと同じだ。

諦めるんだ。

努力しながらも来るものは来るに任せるんだ。

来たものは諦めたら勝手に動くと言うことはないんだ。

貴方が何をどう努力しても結果は決して貴方の思うとおりにはならない。

本来結果すらないのだよ。

諦めずに一体、何が出来るんだ?

他に何も方法はないのだから今すぐに諦めてしまいなさい。

舵を握りしめているから心は反応するんだよ。

諦めると言うのは舵を放すと言うことなんだよ。

諦めて心がどんな時にも静かさを保つ時、なるようにしているであり、神の大道惟神の始まりなんだ。

これが出来ないと何も始まらないから、まずこれに専念しなさい。