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普通でいい

人間には優劣、上下、善悪、強弱、大小、多少などのたくさんの概念があります。
 
物事を詳細に分類することが出来る便利な反面、それが原因で余計な苦しみを生み出すこともあります。
 
我々は生きている以上、人と関わることは避けられません。
 
人との関わりで人と比べたり、比べられたりしたことがあると思います。
 
ただ比べるだけなら問題ないのですが、人はそこに価値を見出し、良い悪いの判断を加えてしまいます。
 
これがエスカレートすると裁きとなり不満、憎悪、争いを生み出す原因となってしまいます。
 
これでは神より与えられた高度な思考能力も、宝の持ち腐れとなってしまいます。
 
せっかく人間として生まれてきたのに、余りにももったいなくないでしょうか?
 
草木も人間と同じく多数の違った特徴を持っています。
 
ですが、草木は比べたり、裁いたりすることはありません。
 
違いはあっても、ただあるがままにあるだけです。
 
故に憎み合うこともなく、不満を述べることなく、争うこともありません。
 
ある意味において人間より神心に近いと言えます。
 
師匠から『来るものは来るに任せ、去るものは去るに任せなさい』と教わりましたが、これが草木のように生きるということです。
 
何も特別なことをする必要はなく、今あるもので生きればそれでいいんです。
 
師匠とは行動をともにしたことが何度かありますが、観察しても特に変わったところは見つけられませんでした。
 
私の意図を察した師匠は『普通でしょ』と言ってきたのを覚えています。
 
師匠は言います『やるべき時にやるべきことをやり、休みたい時は休めばいいんです』だから『普通でいいんです』と。
 
ただ他の人と唯一違うところは常に淡々とし、常に普通であることでした。
 
まさしく草木の生き方そのものです。
 
以下は日月神示の一文です。
 
 
日月神示
【下つ巻 11帖】
草木さえ神の心に従っているでないか、⦿(かみ)の旨にそれぞれに生きているでないか、あの姿に早う返りてくれよ、青人草と申すのは、草木の心の民のことぞ。
道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさしてくれるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。
 
 
【富士の巻 7帖】
悪の世であるから悪の臣民世に出てござるぞ、善の世にグレンと引っ繰り返ると申すのは、善の臣民の世になることぞ。
今は悪が栄えているのざが、この世では人間の世界が一番遅れているのざぞ、草木はそれぞれに⦿(かみ)のみことのまにまになっているぞ。
一本の大根でも一粒の米でも何でも尊くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊(こと)に⦿の国の臣民みな、まことの光あらわしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいてはおれんことになるぞ。
結構な血筋に生まれていながら、今の姿は何事ぞ。⦿はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。
戦恐れているが、臣民の戦くらい何が恐いのざ、それより己の心に巣食うてる悪のみたまが恐いぞ。