宿命と運命
生きているといろんなことが起こりますが、宿命により人に起こることはすでに決まっていると言われます。
決まっていますが、何が起こるか未来のことは誰にもわかりません。
過去からの因果により現在があり、現在の状況から未来を推測することは出来ます。
これを運命と言います。
ここに努力でより良くなることが成立するんです。
正確に言うといつ、どんな努力をするかも最初から決まっているのですが、努力なしにより良くなることはありません。
故に宿命と努力が両立するんです。
人は宿命によりめぐりを与えられています。
めぐりとは人の立場から見ると良くないことに見えます。
神の立場から見ると大安心への、悟りへの道です。
神は一切に幸福を与えるため、人にめぐりを与えます。
だから嫌なこと、辛いこと、苦しいことにも感謝しなければなりません。
人間はそれらを嫌い、避けようとしますが、それ自体が神の恩寵を捨てることになるんです。
人は物事を逆さまに見ていると言われるのはここに原因があります。
めぐりは必ず気づきを与えてくれます。
何の気づきと言うと生き方の間違いです。
それに気付かなければ、神は気付くまで別の方法で気づきを与え続けます。
我善しの生き方は誰も幸福になれません。
故に神は止めさせようとするんです。
あらゆる行為の元に我善しの立場がないか、よく観察することです。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【黄金の巻 83帖】
光る誠の行をさしたら、皆逃げてしまうから、ここまで甘くして引っ張って来たなれど、もう甘くは出来から、これからはキチリキチリと神の規則通りに行うから、御手柄結構に、褌(ふんどし)しめて下されよ。
この世は神の国の写しであるのに、幽界から写りて来たものの自由にさせられて、今の体裁、この世は幽界同様になっているぞ。
地(くに)は地のやり方せねば治らん。
早う気付いた人民から、救いの舟を出して下されよ。
これと信じたらまかせ切れよ。
損もよいぞ。
病気もよいぞ。
怪我もよいぞ。
それによってめぐり取って戴くのぞ。
めぐりなくなれば日本晴れぞ。
今がその借銭済ましぞ。
世界のめぐり大きいぞ。
真理は霊、芸術は体であるぞ。正しき芸術から神の道に入るのもよいぞ。
説くのもよいぞ。
芸術の行き詰まりは真理がないからぞ。
芸術は調和。