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口と心と行いと三つ揃ってマコト

日月神示では口と心と行いと三つ揃ってマコトと言われます。
人の世界では本音と建前が使われています。
なぜ建前が必要なのでしょうか?

波風をたてないため、厄介事を回避するために必要だと人は言います。
つまり、人が本音で生きれば争い事が絶えないということです。

人の本音とはエゴであり、我善しであると師匠は言います。
建前とは本音を隠すためのもので、わかりやすく言うとウソです。

ウソをついて偽りの平和をつくり、本音の部分で対立しているのが人の世界だと言われます。

内側が外側に現れる道理からも、人の世界に対立が現れ続けるのは必然と言えます。
別の見方をすれば内側を静かにすれば外側も静かになるということです。

故に外側に現われるものを望ましいものにしたいなら、自身の内側を変えればいいだけです。

本音と建前は一見、矛盾した別々のもののように見えますが、喜びや安心のためという意味で言えば同じとも言えます。

日月神示で言われる『自分と自分と和合せよ』とは本音と建前の和合のことだと私は思っています。

どんなに本音を隠そうとしても自分を騙すことなど不可能です。
そもそも個人の思いや考えなど存在しません。
全ては神より与えられたもの故、必ず大安心へとたどり着くようになっています。

だからどんなものも嫌わない、否定しないことです。
それが日月神示で言われる抱き参らせる、まつり合わせることです。

嫌わない、否定しないことを続ければ調和は自然と訪れます。
それが口と心と行いを一致させる唯一の方法です。
以下は日月神示の一文です。

日月神示
【青葉の巻 6帖】
この道開くにはマコトぢゃ、マコトとは嘉(よ)事ぢゃ、仕事ぢゃ、まつりぢゃ、あなないぢゃ、〆松ぢゃ、むすびぢゃ。
分け隔ては人間心、何が何だかわからんうちに時節めぐりて元に返るぞ、⦿(かみ)に分け隔てなし、皆一様にするぞ、お蔭やるぞ、病治してやるぞ、小さいこと、大きいこと、皆それぞれに御役(おんやく)勇んで仕えまつれよ、分け隔てと言うことなく、一致和合して⦿に仕えまつれよ、和合せねばマコトのお蔭ないぞ。
まず自分と自分と和合せよ、それが和合の第一歩、アメツチ心ぢゃぞ。
すべてはそこから生まれ来るものざぞ。

【青葉の巻 20帖】
己の心見よ、戦まだまだであろうが、違う心があるから違うものが生まれて違うことになる道理わからんのかなあ。
世界のいよいよのメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組近づいたぞ。
人民は早合点、我れ善しで神示読むから、皆心が出てしもうて、マコト知らしたこと毒とならんよう気つけおくぞ。
薬飲んで毒死せんように気つけよ。
今は世間では何事もわからんから、疑うのも無理ないなれど、⦿の仕組みは何事もキチリキチリと間違いないのざぞ。

【風の巻 5帖】
口と心と行いと三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろうが。
時節来ているなれど、わからん人民多い故、物事遅くなりて気の毒なるぞ、今しばらくの辛棒なるぞ、⦿は人民に手柄立てさしたいのぢゃ、許せるだけは許して善き世に致すのぢゃ、ここまで開けたのも⦿が致したのぢゃ、今の文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無(のう)に致すのぢゃ、取り違い慢心致すなよ。
日本の国いくら大切と申しても、世界中の臣民とは替えられんから、国引っくり返ること、まだまだあるかも知れんぞ、地(くに)の軸動くと知らしてあろうがな。
この神示キのままであるから、心なき人民には見せるでないぞ、あまりきつくて毒になるから、役員薄めて見せてやれよ、一日も早く一人でも多く助けてやりたいのぢゃ、⦿まつり結構ぞ、⦿まつらいでいくら道説いても肚に入らんぞ、肚に入らん道は悪の道となるのぢゃ、頭ばかりで道歩めん道理わからんか、改心足らんぞ。