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学びとは一歩一歩の体験

『皆さんに必要なのは知識ではありません』

『皆さんに必要なのは体験です』

学びを深めるため、悟りに近づくために知識が必要だと躍起になっていた私
に対して師匠が言った言葉です。

知識を得ることは大事ですが、行動を伴わない知識では目的を達成することは出来ません。

目的を達成するためには手順を踏む必要があります。

体験とは現実的な行為であり、一歩一歩を積み重ねる過程です。

これが手順を踏むことになります。

例えば目的地に行くためにはいくつかの経路を通らなくてはなりません。

経路を通らず目的地に着くことなど不可能です。

物事を成すのも同じです。

努力の積み重ねという過程が必要です。

過程なしに何かが変わることなどありません。

過程を無視して変化があるなら、因果という法則は成立しないことになるからです。

人によって過程を嫌い、結果だけを欲する方もいます。

当然、何も得られませんが仮に得られたとしても次に繋がることはなく、それっきりです。

しかし、過程という道を歩いてたどり着いたことがあるなら、次回から容易
に行くことが出来ます。

また過程で得た情報から別の道を見つけることが出来るかもしれません。

過程があるから理解があり、納得があり、発見があります。

それこそが学びではないでしょうか?

体験とはより良くなるためのもので、神心の弥栄そのものです。

だからこそ自身に体験を与えてあげて下さい。

以下は日月神示の一文です。


日月神示
【雨の巻 9帖】
何事も順正しくやりて下されよ、⦿(かみ)は順であるぞ、順乱れたところに⦿のはたらき現われんぞ。
何もせいで善きことばかり待ちていると物事後戻りになるぞ、⦿の道に後戻りないと申してあろうがな、心得なされよ、一(はじめ)の火消えているでないか、まだわからんか、都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾のような心では今度の御用出来はせんぞ、表面(うわつら)飾りて誠のない教えのところへは人集まるなれど、誠の道伝えるところへは臣民なかなか集まらんぞ、見て御座れよ、いくら人は少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、縁ある者は一時に⦿が引き寄せると申してあろうがな、人間心で心配致してくれるなよ。
(中略)
この道は中行く道と申して知らしてあろうがな、力余ってならず、力足らんでならず、しかと手握りてじっと待っていて下されよ、誠の教えばかりでは何もならんぞ、皆に誠の行い出来んとこの道開けんぞ、理屈申すでないぞ、いくら理屈立派であっても行い出来ねば悪であるぞ、この世のことは人民の心次第ぞ。