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大乗のすすめ

一切の責任を放棄し、己の悟りのために修行することを小乗と言います。

皆さんもよく知っているお釈迦様、イエス・キリストも小乗の行から修行を完成させたと言われています。

小乗の行を続けるためには世俗世間との関わりを断ち、修行の邪魔になるもの全てを遠ざける必要があります。

日本でも有名な僧侶の方々が人里離れた場所にお寺を建立し、修行に明け暮れたのもそのためです。

今でも小乗の行で悟りを目指す方がいるそうですが、現代は気になることが多すぎます。

加えてスマートフォンなどで簡単に情報が得られるため、世俗世間の誘惑に負けてしまいます。

それ故に現代では小乗の行を続けるのがより難しくなっています。

悟りを目指すとか難行、苦行をすると聞くとこの小乗がイメージされますが、世俗世間にいながらにして悟りを目指すことは可能です。

むしろ現代なら、そちらの方が悟りに近づきやすいでしょう。

小乗の行は世俗世間と断絶し、悟りは自分が先、他者は後です。

対して大乗の行は世俗世間にいながら、悟りは他者が先、自分は後です。

悟りに至った者が増えれば、増えるほど周りの人の悟りに至る確率は上がります。

自分が悟りやすくするために他者を悟りに近づけようとするわけです。

もちろん、自身の修行も続けながらです。

小乗の行から悟りに至ったマスター達は必ず、大乗の必要性に気づくようになっています。

修行の過程において一切の者の悟りが必要だと理解するからです。

故にお釈迦様やイエス・キリスト、空海は修行が完成した後も、弟子達に教えを説き続けました。

悟りに至った者が増えれば何故、周りの人の悟りに至る確率が上がるのかというと悟りに至った者が影響として存在するからです。

人は体験という影響によりつくられます。

だから良い影響を与えれば人を、世界をつくり変えることが可能なんです。

大乗の行は自ら学びながらも影響を与えたり、受けたりすることが出来ます。

自らの学びが進めば進むほど良い影響を与えることができ、また他が進めば進むほど良い影響を受けることが出来ます。

これは神心の歓喜、弥栄そのものです。

これが最も自然で、最も理想的なかたちでないでしょうか?

故に私も大乗の生き方を選びます。

以下は日月神示の一文です。

日月神示
【黒鉄の巻 12帖】
次の御用は神示(ふで)うつすことぢゃ。
神示うつすとは神示を人間に、世界にうつすことぞ。
神示を中心とした世界のはたらきせよ。
・通した人間の仕事つかえまつれよ。
神示・とした世界つくることぞ。
神示に囚われるからわからん。
神示捨てて、仕事に神示生かして生活せよ。
生活が神示ぢゃ。
わかりたか。
早う次の御用急いで下されよ。
宗教に生きて、宗教に囚われるでないぞ。
仕事が宗教ぢゃ。
小さいことから始めよ。
小乗の行と馬鹿にするでないぞ。
小乗の行から大乗の真理を摑むのであるぞ。