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1.「わたしたち」という言葉は、ちょっぴり胸が痛むのです。

はじめまして。咲多 美唯喜です。
今日から、<書くこと>をはじめようと思って、noteにログインしてみたら
「note登録、2年目です!おめでとうございます!」
と、文字がとびこんできました。

今は朝の3時なのだけれど、まだお日さまも昇っていない中、
ふいに、底ぬけに明るく祝ってもらえたのが、なんだか可笑しくて、
暗闇でふっと笑いました。


今、わたしは44歳なのだけれど、
今までの人生の中で起きたことが、
特に2年前の42歳前後の頃に怒涛のように起こったことが、あまりにも面白くて、これはいつか自分の記録のためにも書いておこうって、思っていたのだけれど。(あ。だから2年前にこのnoteに登録していたんだな。忘れてた。)

2年経った今は、「わたし」のために書くことで、
一緒に、うおー。わかる。わかるぞ。って
ともに、うめいたり、笑ったり、愛おしんでくれる人がいるのだろうって、
感じています。

毎日、書いていこうと思いますので、よかったら、伴走したり、伴歩したり、
楽しんでくださたら、うれしいです。

このnoteのはじまりに、「胸いたむ話」って、なんだろうって、私も謎ですが、
ふと浮かんだので聞いてくださいね。


「わたしたち」っていう言葉。


だれにも言ったことないのだけれど、
なんだか、ちょっと胸が痛むことがあるのです。


例えば、こんなこと。

保護者も運営の活動をしている幼稚園に、次男坊が入園したばかりの頃。
担任の先生が、お身体の調子をくずされて、治療のためお休みされることになりました。小さな園なので、休園になりました。

いつも凛としていて、きちんとされている先生。
何年も在園している保護者たちも、とても尊敬されています。

「わたしたち」よし。ここ一番。保護者皆で支えるぞ。
エイエイオー。
そんな気分になっていたとき、
親切な保護者のお一人が、こんな風に説明してくれたのです。

『◯◯先生がお休みされることは、今まで一度もなかったことなのよ。
 わたしたちは、ずっとこんな風にやってきたの。』


あれ。

あ。。。

どうやら、この「わたしたち」に、私は、含まれていないぞ。


そうか。そうだったのか。まだ、「わたしたち」には入れていないのか。。。
たしかに、まだ、入園して数日だものね。。。

その後の話は全然頭に入ってこなくなり、
わかったように、ふむふむとうなづく私。

すっかり、「わたしたち」に入った気分満々だった私は、
ひそかに胸をいためていました。



それから、こんなときも。


宇宙学校というところで、人生まるまるひっくり返るような学びをしていた頃のこと。
光のような存在が、一人のすてきな女性とタッグを組んでひらいている宇宙学校。

学びが深まってきたころ、何かお話をしてくれる中で、
『ぼくたちは、こうしてやってきた。』と、伝えてくれました。

あれ。

「ぼくたち」
わたしは、含まれない「ぼくたち」。
そりゃそうだ。
教えている存在と、教わっている存在。
当然なのだ。
あたりまえなのに、
その「ぼくたち」に、ひそかにちょっぴり胸をいためる。


おもしろい感覚。


そして、私が
何気なくつかう「わたしたち」にも
ざわっとすることがあるようです。

なんだろうね。


「わたしたち」に、わたしが溶けているように感じているよう。

それは、太陽星座魚座特有の感覚なのか。

月星座射手座の、自我が全体の中で欠損しているからなのか。
(これは、月の欠損の話は、マドモアゼル愛先生の動画で知りました。とってもおもしろいよ)

はたまた、まったく別の理由なのか。


ちょっとしたことなのだけれど、
ひそかに胸が痛んだこと。


noteのはじまりの日に、徒然なるままに書いてみました。

同じように感じる人、いるのかな。


そして、このnote。

とっても書きやすいな。これなら毎日書けるかな。



今、聞こえてくる音。


兄妹猫が毛づくろいするときにたてる音。
ぼんぼん時計のカチコチいう音。
次男坊の寝息。
セミの声。
小鳥たちの声。


おひさまが昇ってきました。もう空が明るい。
これからご縁のある神社に家族でおまいりしてきます。

みなさんも、愛おしい日々を。

また明日ね。

読んでくれてありがとう。

咲多 美唯喜


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