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[波上宮+アマミチューの墓・シルミチュー霊場+斎場御嶽+天主大御神・宇天良長老+沖縄県営平和祈念公園・ひめゆりの塔+石敢當] 呼ばれて辿り着く所縁の地

ニライカナイという海の彼方より久高島(くだかしま)に降臨した女神 アマミキヨは琉球王国の開闢神となり、沖縄県は一つの独立した国として1879年まで存在していました。

久高島のクボー御嶽をはじめ、斎場御嶽やクボウ御嶽、首里真玉森御嶽(しゅいまだまむいうたき)といった琉球王国開闢の際に創られた7つの御嶽は今でも現存しており、神々が降臨する場所として様々な儀式が執り行なわれています。
石垣で囲まれた軍地拠点であるグスク(城)の中にも多くの御嶽があり、古来より琉球王国の人々がいかに始祖神を大切にしてきたかを垣間見ると同時に、その信仰心の強さを感じます。

勝連城址 石垣に残る拝所

そういった今なお、脈々と流れる沖縄にある御嶽からのエネルギーや高次元へつながる空間をご紹介したいと思います。

勝連城址 御嶽
今帰仁城址 古宇利殿内(ふいどぅんち)
義本王(ぎほんおう)の墓
首里城 首里森御嶽(すいむいうたき)
首里城 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

波上宮(なみのうえぐう)- 沖縄県那覇市

波上宮は琉球国一之宮としてその主祭神に伊邪那美命(いざなみのみこと)、速玉男命 (はやたまをのみこと)、事解男命 (ことさかをのみこと)の三神を祀り、琉球八社の一社として知られている。宮自体は崖の上に立ち、その崖の上から海に向かって五穀豊穣や海上安全を祈ったことが始まりとされている。

波上宮
波上宮

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小雨がちらつく中、波上宮を訪れたところ、運よく車1台分のスペースが残されており、また神前では小雨も上がり晴れ間もではじめ、神様からのあたたかいお招きに感謝しました。


アマミチューの墓・シルミチュー霊場 - 沖縄県うるま市

琉球を開闢したアマミキヨ(アマミチュー)がシネリキヨ(シルミチュー)と暮らしたとされる浜比嘉島(はまひがじま)にはアマミチューの墓と、シルミチューと一緒に暮らしたとされる洞窟があり、年頭拝み(旧暦の元旦)には、地元のノロ(琉球神道における女性の祭司)が海浜から小石を一つ拾って来て、洞窟内にある壷に入れて年初めを祝う。
「訪れると子宝に恵まれる」という言い伝えがあり、特に安産祈願に訪れる人が後を絶たない。

アマミチューの墓
アマミチューの墓
アマミチューの墓


シルミチュー霊場
シルミチュー霊場
シルミチュー洞穴
シルミチュー洞窟

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シルミチューへ行こうとカーナビと道にある標識を頼りに運転をしていると、唐突に入ってきたアマミチューの墓への標識。
「訪れるべきはシルミチュー」と思いこみ、シルミチューへの案内を目指して車を走らせては見るものの途中で標識を見失い、道幅の狭い小道へ迷い込み、ようやく大きな道へ戻ってみると、目の前にはアマミチューの墓への看板がありました。

「なるほど」と思い、アマミチューへ行こうと車を止めてアマミチューの墓への入り口を探していると、目の前には「369(みろく:弥勒)」のナンバープレートをもつ車が停車しており、先ほど通った時には居なかった車であったため、「なるほどそういうことか、アマミチューの墓が琉球王国への最初の第一歩」と吸い込まれるように小島へ入りました。

アマンジ島

アマンジと呼ばれる小島にアマミチューの墓はあり、遠目には穏やかさを感じる光景でしたが、島内へ足を一歩踏み入れると、その空間には静けさの中に、物寂しげが臨在しており、「今、お邪魔してよかったのかな・・・」と疑心暗鬼になりながら足を進めていきました。

何事もなくアマミチューの墓を参った後、階段を降りてくると、そこには門番のように一匹の猫が待ってくれており、「心置きなく、ゆっくりとお参りしてください」と言われたようでした。

その後、シルミチューを探して車を走らせていきますが、なかなか目的地へはたどり着けず、「今は呼ばれていないのかな・・・」と心に沸き立つ不安をうち消すように、路地に出てくる案内表示を辿っていくと目の前にシルミチューが見えてきました。

シルミチュー霊場

シルミチュー霊場では心置きなく、岩笛を吹くことができた私はとても幸せな気持ちでいっぱいになりました。帰り路は少し道幅の広そうな別のルートを通ってメインの道へ出てきたところ、その目前にはアマンジ島があり、やはり先ほど感じた物寂しげな気持ちが沸き上がってきました。

この侘しい気持ちは何かなと考えた瞬間、私はアマミチューやシルミチューと出会えたことへの幸福感とは裏腹に、アマミチューやシルミチューのもとから去っていく別れの寂しさだと気づきました。
そして、後ろ髪をひかれながら、「また、必ず、会いに来ますよ」という言霊が心柱となり、心からあふれていました。


斎場御嶽(せーふぁうたき)- 沖縄県南城市

御嶽とは木々が生い茂った森にある磐座や洞窟を信仰の場所として沖縄地方に広く分布している聖地である。

斎場御嶽 三庫理(さんぐーい)
斎場御嶽 三庫理(さんぐーい)
斎場御嶽 三庫理(さんぐーい)
ちょうのはな

ノロといわれる巫女が神に祈りを捧げる場所とされており、その中でも斎場御嶽は琉球開闢伝説にあらわれる最高峰の聖地である。

また、神の島といわれる久高島から特別に聖なる白砂を持ち込み、その砂を御嶽に敷きつめて祭事を行う習わしが今でも残る。

久高島 遥拝所

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三庫理を見た途端、私はある姿に見えることに目をとられてしまいました。何度も何度もその姿を確認するように、周囲との景色の調和を見返してみても、その映像に変わりはありませんでした。

その姿とは、赤子を大切そうに抱きかかえる老婆です。

老婆と赤子

最初は老婆がしか見えませんでしたが、ずーと見続けていくと、穏やかなたたずまいの中に赤子がいることに気づきました。大きな真黒の両目と、何かを伝えたそうな口元をから、途方もない大きな強い守りのエネルギーを感じました。
可能であれば近寄って握手をしてもらいたいような気持ちになり、気が付くとお互いに凝視をしている状態が数分続きました。


天主大御神(うてんうやがなしい)の御嶽 - 沖縄県那覇市

琉球八社の一社でもある沖宮の奥武山の中の山 日護森(ひごぬむい)に鎮座される天主大御神とは、宇宙の中で最初に天と人を創った産みの親とされており、天と地を統一した琉球王国の神様としても知られている。地上に太陽の光を照らすことで万物を創造された守御神であり、光の神様でもある。

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波上宮から護国神社を参拝した後、その奥にあるという沖宮が気になり、足を向けてみたところ、急に頭上から大きな光が差すと思い、見上げてみたところ、天主大御神がそこにおられました。

天主大御神
天主大御神

穏やかな空気の中に「今も、これからも、ここにいる」という力強いエネルギーが御嶽から流れだしており、それでも私には何か物足りないような気持ちを感じながら帰宅の途につきました。
後日になってもその物足りなさが抜けることがなく、沖宮を調べてみたところ、私が出会った天主大御神御嶽は沖宮ではなかったことに気付きました。

「なるほど、だから物足りないのか、実は沖宮へ辿り着いていなかったのか・・・」と、まるでアマミチューで感じた後ろ髪をひかれる思いが再びよみがえり、「次は、必ず、会いに行きますよ」と私に約束しました。

宇天良長老(うてぃんちょうろう)龍宮金宮観音
琉球には天と地と底を守護する3人の長老様がおり、宇天良長老は天を守っていると言われている。またその左手には人々の未来を記した巻物を持っている。
天祖子あまみ人前 天珥東大主御世

おまけ

沖縄県営平和祈念公園・ひめゆりの塔 ― 沖縄県糸満市

沖縄戦終の地として、昭和47年より整備された平和記念公園には沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館をはじめ、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ平和の礎(いしじ)がある。

平和の礎(いしじ)
民間人・軍人の区別なく、国内では都道府県別に沖縄戦死者の氏名が刻まれている
平和の礎(いしじ)
沖縄平和祈念堂

平和の広場の中央には、平和の火のモニュメントがあり、戦争を起こさない、そして平和の大切さを世界へ訴え続けている。

平和の灯
平和の灯

看護要員として戦場にて亡くなったひめゆり学徒隊の慰霊塔の前には洞窟があり、沖縄陸軍病院 第三外科壕跡として、当時はひめゆり学徒を含む病院関係者や住人など約100名ほどが収容されていた。6月19日の解散命令後に、米軍のガス弾攻撃を受けて80人が亡くなったと言われている。

ひめゆり学徒隊の慰霊塔
沖縄陸軍病院第三外科壕跡

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沖縄平和祈念堂から望む眺めは、まさに平和そのものであり、そういった心の穏やかさを味わっていると、ふわりふわりと飛び交う蝶々に出会いました。

沖縄平和祈念堂からのぞむ平和の丘
平和の丘

蝶は神様の眷属であり、私たちへメッセージを運んできてくれます。沖縄平和祈念堂の階段で出会った蝶々を眺めながら、「今、ここにいる・生かせてもらっている」ことへ感謝しました。

そして今の私はとても幸せであり、そして自由であることを再認識しました。


石敢當(いしがんとう)

古来より石敢當は丁字路や三叉路に置かれており、目に見えない魔物や邪鬼が家に入り込むのを防ぐための信仰に基づくものとされ、また魔物は直進するという謂れより、辻の路傍やT字路やY字路の突き当りに設置されていることが多く、今では車が突進して家や塀にぶつかることを防ぐ役割を持っている。

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せっかくなので一つ購入しました。見ているだけなのに、顔がにやけてきて、心が穏かになります。バイバイ、邪気さん。


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。


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