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[隠岐神社+後鳥羽上皇御火葬塚 蛇の脱皮+水無瀬神宮+大原陵 後鳥羽天皇・順德天皇++玉若酢命神社 八百比丘尼杉+由良比女神社+摩天崖 国賀海岸] 後鳥羽上皇からのメッセージ

一年を通して昼と夜の時間がほぼ等しくなる日を春は「春分の日」として、秋は「秋分の日」の日として毎年、天文計算により設定されますが、春分の日は文字通り春の訪れを祝う日として制定された一方、秋分の日はご祖先様を敬い、また偲ぶ日として創始されました。
特に秋分の日は昼と夜の長さがちょうど同じになることより、あの世の彼岸(ひがん)と、この世の此岸(しがん)の距離が最も近い日と考えられ、それ故に彼方者へのメッセージが伝わりやすい日と考えられるようになりました。
また、秋分の日は彼岸の中日(ひがんのちゅうにち)とも呼ばれ、7日間の彼岸の初日を「彼岸入り」、最終日を「彼岸明け」、そしてちょうどその中日(なかび)に秋分の日があるためです。

また、初秋に鮮やかな赤色の花を咲かせる曼殊沙華は「死人花(しびとばな)」として、田んぼの周りのあぜ道でよく見かける花ですが、幼いころ曼殊沙華を家に持ち帰ると、「その花は彼岸花といって昔からご先祖様の花だから取ってはいけない」と親に叱られたことを思い出します。同時に、曼珠沙華は猛毒性があるから摘む花でもないとも教わりました。迷信かもしれませんが、軽はずみにご先祖様の曼殊沙華を取ってしまったことで、不慮に我が子があの世へ逝ってしまうことを怖れたための親の言動かなと思うと・・・俗伝であっても感慨深いものを感じます。

暑さ寒さも彼岸までと言われる通り、お彼岸を境に寒さや暑さが和らぎ過ごしやすくなります。日頃より、ご先祖様を敬い、そしてご先祖様のお陰様で、今、ここに、生かされていることに感謝しながら、暖かい春の訪れを楽しんでみてください。


隠岐神社(おきじんじゃ) - 島根県隠岐郡海士町

中ノ島と呼ばれる海士町(あまちょう)には承久の乱に敗れた第82代 後鳥羽天皇の史跡が多く残されており、その中でも後鳥羽天皇をおまつりする神社として、昭和14年の天皇没後700年祭を記念して御火葬塚の隣接地に創建された。

隠岐神社
隠岐神社

19年間を過ごした海士町では「ごとばんさん」と親しみをこめて呼ばれており、和歌を好んでは「新古今和歌集」を編纂したり、刀剣を好んでは自らが刀鍛冶を行い、更には蹴鞠や管楽を好み、また相撲や競馬などの武芸にも秀でていたとされ、隠岐の文化や伝統芸能の礎となった。現在の皇室御紋である菊は、後鳥羽上皇が菊の花を愛用されたことに起源すると言われており、歴代天皇の中でも文武両道に優れていたことがわかる。今年2021年は後鳥羽天皇御来島800年の佳節の年として、島を挙げての大祭「後鳥羽院800年祭」が開催されている。

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後鳥羽上皇の遺灰が埋葬されている御火葬塚を眺めていると、体に身震いが起こり始め「この後、大阪の水無瀬神宮と京都の大原陵へも詣でますね」とつぶやき左手の土手に目をやると、白く光った縄のような長いものが見えたため凝視をしてみると、蛇の脱皮でした。

後鳥羽上皇御火葬塚
後鳥羽上皇御火葬塚
後鳥羽上皇行在所跡
水無瀬神宮
(後鳥羽天皇が「わがふるさと」と思し召された水無瀬の離宮跡)
水無瀬神宮
後鳥羽天皇・順德天皇 大原陵
後鳥羽天皇・順德天皇 大原陵

世の中には数多くの縁起物がありますが、最強の縁起物と言えば蛇の抜け殻です。蛇は成長の過程で何度も脱皮を繰り返すため、その姿はまるで死と再生からくる「復活」や「無限」の象徴とされており、また「ヘビ(巳)を持つと、実(巳)入りする」との言い伝えより、蛇皮を財布に入れておくと金運を産み出すとされています。
「親父がいたら脱皮を取ってもらえるのに・・・素手か・・・私は取る勇気がないな・・・」、とぶつぶつと独り言を言っていると、耳元に「ブーン」と大きな音がしたその瞬間、「後鳥羽上皇の見張り役兼、お世話役の村上さんが追い払いにきたか?」と思いました。
「ごとばんさんの前で脱皮に出会えただけで充分か・・・」と思いながら、写真を取りました。

蛇の脱皮
蛇の目

さて、この蛇脱皮の縁起力はここからです。
隠岐の旅は、島後の隠岐の島で一泊、そして島前の海士町で一泊、そして西ノ島町で一泊の計三泊四日の旅でしたが、二日目の海士町のチェックインをした際、隠岐への旅行者限定 隠岐限定クーポンを1人5000円分をいただきました。その後、西ノ島で宿泊した際にも同様のクーポン 5000円分をいただきました。このクーポンは食事や土産物等々、指定されているお店であればまるで現金のように使えるのですが、初日である隠岐の島の宿では、このクーポンをいただくことはありませんでした。海士町で出会った蛇の脱皮を持ち帰ることはしませんでしたが、その金運効力は十分にいただくことができました。

玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ) - 島根県隠岐郡隠岐の島町

玉若酢命神社

隠岐の総社として、また隠岐の神社の中では最も古い1793年の建築として国指定重要文化財にも指定されている。境内には樹齢約2000年ともいわれている「八百杉(やおすぎ)」があり、その昔、若狭の国から人魚の肉を食べて、老いることを知らない比丘尼(びくに)がやってきて、その形見にと杉の苗を植えた。そして「800年たったら、またここに来よう」と言ったことから八百比丘尼杉(やおびくにすぎ)と呼ばれ、いつしか「八百杉」と呼ばれるようになった。

八百比丘尼杉

由良比女神社(ゆらひめじんじゃ) - 島根県隠岐郡西ノ島町

隠岐国一宮として祭神は由良比女命(ゆらひめのみこと)であり、漁業神、海上守護神として尊崇される。鳥居の前は浅い入江になっており、その昔、祭神の由良比女命が苧桶(苧を収納する専用の桶)に乗ってこの地にやって来る際に、イカが海水をかき分ける由良比女命の手を引っ張ったりかみついたりするという悪ふざけをしたため、そのお詫びに、毎年秋になるとイカの大群が神社の正面の浜辺に押し寄せるようになり、このイカが神に詫びに来たという言い伝えを「いか寄せ伝説」がある。

いかよせ浜 番小屋
(手づかみで拾えるぐらいに多量にイカが取れた)
イカ模様のマンホール
イカ模様の灯篭

最終日朝、一人ワイワイと騒ぎながら何かと悪戦苦闘しているオジサンが別府港にいたため首を突っ込んでみると、タコ壺から取り出したタコ群と奮闘している島の人でした。その後、オニイサンもやってきて、バケツから脱走するタコを手づかみでバケツに戻しながら、次々とタコ網を引き上げていく姿を見ながら、そういえば・・・、生きているタコは真っ赤ではなく、白茶褐色であることを最近、親に教えてもらったことを思い出し、恥笑に私の顔が真っ赤に茹で上がりました。

なんども脱走を試みるタコ群

番外編

古事記によると、伊邪那岐と伊邪那美が淡路島、四国に次いで3番目に産み落とした島として「隠伎之三子島(オキノミツゴノシマ)を記しており、最大の島を「親島」として島後と呼び、それに率いられる知夫里島・西ノ島・中ノ島の3島を「子島」と表現しています。隠岐諸島は、鎌倉時代の権力闘争に破れた後鳥羽天皇や後醍醐天皇、そして平安時代の歌人小野篁等、死刑にするには高すぎる身分の公卿や、役人などの政治犯に対して追放の意味が込められた遠流の島としても知られています。都から程よく離れていると土地いうだけでなく、日々の生活に問題がなく、また流された貴人が飢えたり、生活に危険を覚えるような場所ではなかったため流罪刑として隠岐が選ばれたそうです。

確かに隠岐諸島での数日間に不自由さを覚えることはありませんでしたが、本土での生活と比べて何が違うかというと物価です。それは定価に輸送費が上乗せされた売価となるため割高というよりはむしろ、純粋に値段が高いという感覚です。そういった生活環境を一新してしまったのがネットオーダーであり、特にアマゾンやヨドバシのように配送費が含まれない売価でモノを購入することができ、更には数多くのSKUからモノが選べるD2Cは島民の方々はとてもありがたい出来事のようです。ある意味、ネットオーダーの付加価値を再認識する良い機会になりました。

摩天崖(まてんがい)と国賀海岸(くにがかいがん)

また青々とした草原にはのんびりと草をたべる牛や馬が放牧されており、ごとばんさんが過ごした隠岐での時間は都と比べて、退屈さの中にあるゆとり、そして穏やかなもの中の侘しさが入り混じった19年間だったのかなと、山容水態な隠岐諸島に牧歌的な安らぎをいただきました。

それでは、一日、一日を大切にお過ごしください。

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