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[今帰仁城跡+中城城跡+勝連城跡+座喜味城跡+義本王の墓+ハートロック] 諸行無常の響き

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語

力強くも儚い平家の運命を描いた平家物語を思い出すような沖縄のグスクは、沖縄戦という大きな歴史を乗り越えて今なお、再生と進化が続いています。

沖縄のグスクは中国や東南アジアをはじめとする諸外国との交易がもたらした建造物であり、また琉球王国の歴史や文化を余すことなく体感できる遺跡といっても過言ではありません。そして尚巴志をはじめ、護佐丸や阿麻和利といった琉球の戦国時代を作り上げた英勇たちが残した唯一無二な承継物でもあり、2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産に登録されました。本寄稿ではそういった琉球王国が統一される一つの礎となったグスクとその歴史を紹介したいと思います。

今帰仁城跡(なきじんじょうあと) ー 沖縄県国頭郡今帰仁村

沖縄が琉球王国として統一される以前、北山(ほくざん)、中山(ちゅうざん)、南山(なんざん)と呼ばれる3つの勢力に分かれた三山時代があり、いわゆる琉球の戦国時代である。

世界遺産 今帰仁城跡
今帰仁城 入口

北山に建城された今帰仁城は、屏風のような曲線の城壁が攻撃性と防御性の両面に優れた機能を持っていたため、難攻不落の城であった。

今帰仁城跡
今帰仁城跡
今帰仁城跡

15世紀、琉球王国の統一を図る中山頭首であった 尚巴志(しょうはし)により北山は滅ぼされ、北山の歴史の幕を閉じる。その際、尚巴志とともに戦ったのが築城の天才と言われた護佐丸(ごさまる)が先今帰仁城按司 攀安知(はんあんち)より城主を引き継ぎ、北山の看守をおこなった。

今帰仁城跡に使われているのはの石垣には古生代(こせいだい)の石灰岩が含まれており、その中には今から約2億年前のアンモナイト化石が発見されている。

石垣 アンモナイト化石

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開城前に到着してしまったため、今帰仁城への入り口あたりをうろうろとしていると、アマミチューの墓と同様に、不意に猫が現れ、まるで招き入れられるようにお出迎えをしてもらいました。小雨の降る少し肌寒い日であったため、猫との対面に心が落ち着きました。
様々な動物や昆虫類が神様の眷属として私たちの目の前に現れますが、私の場合、ご縁のある場所へ辿り着くと、そこには必ず猫が現れるようです。古代山城で知られる鬼ノ城へ行った際にも、帰りの道端に猫がどこからともなく現れたりします。

岡山県 鬼ノ城
福岡県 志賀海神社
千葉県 成田山新勝寺境内

そしてご縁のある土地から去っていく際には蝶々がやってきて、さよならの挨拶で見送ってもらうようです。

埼玉県 御岩神社参拝後の帰りのバス停で一緒にいてくれた蝶々たち
埼玉県 御岩神社参拝後の帰りのバス停で一緒にいてくれた蝶々たち

座喜味城跡(ざきみじょうあと) ー 沖縄県中頭郡読谷村

琉球国王 尚巴志より今帰仁城制覇の褒美として読谷村を領地として与えられた護佐丸は、国王への対抗する勢力を監視する目的で、座喜味城を築城した。座喜味の築城には山田城の石材を再利用したとされ、その後、中城へ移城後に座喜味城は廃城となった。

座喜味城跡
座喜味城跡
座喜味城跡
座喜味城跡

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沖縄の城は「しろ」ではなく「グスク」と発音され、本土で見られる城とは構造的にも、精神的にも、異なることに気づきます。私が想像する一般な城とは、攻防戦や防波堤、或いは権力保持を示す物質的な役割を持つ建物を思い浮かべますが、沖縄地方にあるグスクには、御嶽という神様を遥拝するスペースが多く配置されており、グスクは軍事以上に、精神的な役割を持つ機関といっても過言ではありません。
グスクには複数の御嶽が存在しており、そしてその一つひとつの御嶽には特別な目的がもたされており、グスクが八百万の神々に守られて存在しているという心象を受けます。
遥拝所も神社の本殿のように建物をもつ形式ではなく、むしろ言われないと気づかないような自然の中にその形が見出されており、まさに私たちの先祖が信じてきた自然崇拝を城の中に作り上げていることに驚かされます。

座喜味城 石垣に寄り添う香炉群

特に標識もない場所に香炉が行儀よく並んでいる姿を見ながら、これを見るために座喜味城へやってきたように思いました。それは、特定の場所や時間を設けて、高次元にいらっしゃる方々と交信するという形が重要ではなく、寧ろ神様は常に私たちと一緒にいてくださって、その存在に私たちが気づくこと、そして、今、生きていることに気づき、感謝することが大切というメッセージを受けました。香炉を見ているだけで穏やかな気持ちになりました。


中城城跡(なかぐすくじょうあと) ー 沖縄県中頭郡読谷村

14世紀後半、護佐丸は座喜味城から中城へ移り住み、勝連城按司である阿麻和利(あまわり)に攻め込まれ、自害するまでを過ごした城である。

中城城址

黒船で知られるペリーが沖縄に立ち寄った際、中城を見て「要塞の資材は石灰岩であり、その石造建築は、賞賛すべき構造のものであった」と『日本遠征記』に残すほど、その容姿には定評がある。

日本遠征記 中城
抜粋元 2010 - 2022 © 沖縄の世界遺産 中城城跡(城城跡共同管理協議会)

勝連城跡(かつれんじょうあと) ー 沖縄県うるま市

第10代目按司 阿麻和利の頃に最も栄えたという勝連城は、世界遺産に登録されている沖縄の城の中で最も古く、その築城は12世紀ごろとされている。琉球王国とその王権の奪取を目指した阿麻和利が、中城按司 護佐丸を滅ぼした後、国王が居城する首里城へ攻め込むが、大敗した後に滅びる。

勝連城跡
勝連城跡
勝連城跡

沖縄の中部エリアに位置する勝連半島の丘陵上に築城された勝連城は、城下の町並みが眺望できるだけではなく、北は山原(やんばる)の山々から、南は知念半島や久高島、護佐丸の中城までを一望できる、当時も今もその存在感は大きい。

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勝連城内にも様々な氏神様を祀る御嶽があり、神人(かみんちゅ)と呼ばれる神職者が神との交信を行っていた形跡が垣間見られます。

ウタミシガー
旧暦の元旦に泉の水量によりその年の豊作・凶作を占っていたといわれる泉
ミートゥガー
縁結びの井戸
トゥヌムトゥ
暦の2月と5月の行われたウマチー(収穫祭)で神人が腰を掛けていた座石
ウミチムン(火の神)
台所であったとされ、火の神が祀られている

神奈備(山)や磐座(岩)、神籬(森)といった物質に宿る精霊というよりはむしろ、洞窟や洞穴といったその空間を通して先祖神や高次元とつながりを持つことが琉球のアニミズムの姿であり、その信仰心の高さは私たちが道端にあるお地蔵さんに手を合わせたくなる気持ちと同じかなと思います。

玉ノミウヂ御嶽
司の守護神を祀る拝所

御嶽から感じるメッセージは、「この空間に精霊がいるから住みついた」、「この空間にエネルギーがあるから築城した」、「このエネルギーを大切にしたいから御嶽という遥拝場所を創造した」、といった大物主が宿る三輪山を祀る三輪大社拝殿と同じ思想を持ち、またアメリカの先住民が神聖化したヴォルテックス(高次なエネルギーの渦)を思い出しました。

アリゾナ州セドナ
アリゾナ州セドナ
アメリカ アリゾナ州セドナ
チャペル・オブ・ホーリー・クロス(Chapel of the Holly Cross)
アリゾナ州セドナ

おまけ


義本王の墓(ぎほんおうのはか) ー 沖縄県国頭村

舜天王統(しゅんてんおうとう)最後の王として知られる義本王の在位期間に、飢饉や疫病が相次いで起こったため、多くの国民が苦しむ時代が続いた。その責任を負って、54歳に退位、当時摂政だった英祖に王統を譲ったとされる。

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義本王の墓入口

急な階段を入り口に、山の中へ入っていくと目の前に大きな枝が道を遮るようにうなだれており、「今、お邪魔すべきではないのかな・・・」と一瞬、頭をよぎりましたが、「もしそうであれば、もう一つメッセージをください」とつぶやきながら足を進めてみました。

足元を遮る枝

「義王さんにお会いしたい」と言霊を繰り返していると、どっしりとした容貌の義本王の墓が現れ、アマミチューの墓で感じた同じエネルギーが流れてきました。それは、穏やかな空気の中にある寂しさでした。

義本王の墓は小綺麗に手入れがされており、心のある方々にとても大切に守られているというメッセージを受けました。そしてその背後から別のエネルギーがやってきているのでふと見てみると下記のような、少し違和感を感じる空気の間がありました。しばらくこの空間を見ていると、まるで時間が止まってしまっているかのような錯覚をおこすことが、私が感じた違和感だったようです。

ハートロック

古宇利島(こうりじま)にはティーヌという浜があり、そこにはハート型の岩があります。波の浸食によりできた岩の付け根ですが、古宇利島は別名「恋島(くいじま)」とも呼ばれており、沖縄版のアダムとイブの伝説が残る恋の島とも言われています。

ハートロック
ハートロック
ハートロック

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よく見ると3つ目の岩がアダムとイブの間から顔を出しており、蛇も近寄れない海の中で、家族三人がいつまでも仲睦まじく暮らしているのかなと思いました。

私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。

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