[出雲大社+八重垣神社+田中神社+佐太神社+母儀人基社+命主社] 縁を結ぶ
旧暦の10月は、全国の神々が一斉に出雲地方に集まってしまうため地元に神様がいない月として「神無月」と呼ばれるようになり、一方、出雲では神々が集まる月として「神在月(かみありづき)」と呼び、旧暦の10月11日から17日には神在祭(かみありさい)として稲佐の浜にて神々を迎える神迎神事を行い、集まった神様たちは縁結びの相談や人生諸般に関する神談をするとの言い伝えがあります。令和3年度は、11月14日を神迎祭(かみむかえさい)、11月15日より21日までの7日間を神在祭として八百万神を出雲にお迎えし、出雲大社では神々を迎えるために19社の扉がすべて開かれることでも有名です。
今年の11月、良き出会いをお導きくださる神々の国・出雲へ出向いてみてはいかがでしょうか。
出雲大社(いずもおおやしろ・いずもたいしゃ) - 島根県簸川郡大社町
日本の国土造りをされた大国主命(おおくにぬしのみこと)を御祭神にもつ出雲大社は、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)神話にあるように縁結びの神様として知られる一方、困っているものへ助けの手を差し伸べる慈愛 の神様としても有名である。
また、ダイコクサマや大黒天の愛称としても知られ、大きな袋を背負ったお姿は福の 神として慕われている。
出雲大社は「出雲國神仏霊場」の第一霊場となり、出雲國神仏霊場とは島根県の宍道湖や中海周辺から鳥取県の大 山エリアまでを8(はち)の字を横にした形に点在する神社仏閣である。巡礼の証として社寺の名前および教えに ちなんだ文字が書かれた御朱印(ごしゅいん)を授与すると同時に護縁珠(ごえんじゅ)もいただける。
神社での参拝作法は二拝二柏手一拝が一般的であるが、出雲大社では二拝四柏手一拝で拝礼を行なう。
神域と現世を分ける役割を持ち、天照大神が天岩戸から出た際に二度と天岩戸に入れないよう岩戸に注連縄を張ったとされている。出雲大社では一般的な神社とは反対に、向かって左方を上位、右方を下位とする習わしがあり、注連縄も左右が逆に張られている。
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数年前のこと、毎年11月の連休はどこかへプラっと出かけるのですが、友人との待ち合せ場所へたまたま早く着いてしまったため滅多に見ないフリー雑誌を手にとりパラパラめくっていると、出雲の神在祭に関する記事がでており、とっさに「今日は何日?旧暦の10月って何月何日?」、「出雲へ行かないと!」とその日のうちにホテルの予約を入れていました。
引き寄せの法則とは、丁度良いタイミングで物事が起こり始めると言いますが、それは私たちが自分のために集中する時間やエネルギーがあるときに起こります。私の場合、常にエネルギーの軸が中心にあったわけではなく、こういった引き寄せの法則を体験しながら、そしてその経験が魂と呼応することでピントが徐々にあっていった気がします。このピントが合ってくると、私たちはご縁のある場所へと呼ばれるようになり、またそのご縁は次のご縁へ、そして更に次のご縁へと自分の魂が高次元へ達するまで動き続けます。そして、私たちは高次元へつながっていけばいくほど、迷いや不安、疑いや恐れといった煩悩への意識が弱まり、ただ一所懸命に生きることに生き甲斐を感じるようになります。
八重垣神社(やえがきじんじゃ) - 島根県松江市佐草町
八重垣神社は出雲の縁結びの神様として広く知られ、八岐大蛇(やまたのおろち)伝説で有名な須佐之男命(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)のご夫婦が御祭神となる。
境内には、二股の椿が地上で一本になっている夫婦椿があり、「一身同体」や「愛の象徴」として大切にされている。
御本殿後方にある佐久佐女の森(さくさめのもり)には奇稲田姫命が姿を映したと伝わる鏡の池(かがみのいけ)があり、縁結びや心願成就を占うことが出来る。社務所にて占い用紙を購入後、その用紙の上に10円玉ないし100円玉をのせ、心願を唱えながら水面へゆっくり浮かべる。
その紙の沈む速さや沈む場所により願い事の行方を占うが 、早く沈めば願いが叶うのも早いとされ、遅く沈めば成就までには時間がかかる。浮べた場所より近くに沈むと身近なところにご縁があり、また遠くまで流れてしまったあとに沈むと遠くにご縁があるだろうと言われている。八重垣神社は「出雲國神仏霊場」の第十四霊場となり「結」の文字が後朱印となる。
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若干の小雨が降る中、鏡の池周辺には多くの人が集まっていました。人が引くのを待っていると、二人組みの男性のみが紙を眺めている状態となったため、早速、空いている場所へ紙を浮かべてみたところ、紙は浮かべた場所より然程動くこともなく3分ほどで沈んでいきました。
「小雨も降っているし、すぐ沈むのは当たり前か・・・」と思いましたが、先に浮かべていた男性陣の紙はどんどん遠くの方へ流されていった挙句の果て、微動だにしない状態となった光景を垣間見ながら、「今の私の在り方で充分、良いってことか」とシアワセな気持ちになりました。
先述の通り、高次元とつながるということは不安や怖れ、疑いがない状態です。この当時に感じたシアワセとは欲求的な満足度が大きく、今同じことを体験したら、きっと魂から不安が一つなくなったシアワセを感じていると思います。
田中神社(たなかじんじゃ) - 島根県松江市鹿島町
佐太神社(さたじんじゃ)北殿の摂社として、全国でも珍しい縁結びと縁切りのご利益がある珍しい二つのお社が背を向けて建っている。佐太神社の御本殿に向かっているのが西社で妹である木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀り、縁結びや安産のご利益があり、東社には姉である磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀り、縁切りや長寿のご利益がある。
この二つの神社は佐太神社の北殿に祀られている邇邇芸命(ににぎのみこと)と深い関係があり、邇邇芸命は天照大神の子孫として天孫降臨した天皇の祖神が、木花咲耶姫命に求婚した際に、姉の磐長姫命も共に娶るよう姉妹の親である大山津見神(おおやまつみ)から言われる。しかし、邇邇芸命は木花咲耶姫とは夫婦になるが、姉の磐長姫は容姿の醜さから親元へ返してしまう。長寿の神様である磐長姫とのご縁を切ったために邇邇芸命は永遠の命を失ったと言われている。また、こう言った因縁のためなのか、木花咲耶姫命の西社は邇邇芸命を祀る北殿を向き、磐長姫命の東社は北殿に背を向けた形となっている。
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現世と死者の住む彼世との境目にある坂として、また伊邪那岐が死んでしまった最愛の妻である伊邪那美を黄泉の世界から連れ戻すために通った黄泉比良坂(よもつひらさか)へ訪れた後、須佐神社へ詣でるつもりでいましたが、足は佐太神社に向いていました。佐太神社では、参拝順路があることを知らなかったため、正殿から南殿(左)、それからは何かに引き込まれるかのように南殿の裏山へ入っていくと、その山腹には伊邪那美を祀る「母儀人基社(はぎのひともとしゃ)」がありました。八角形を形どる母儀人基社は、まるで天と地と冥界のエネルギーが一つに吸い込まれる空間のようで、太古の昔より出雲国の中でも佐太神社が特別な聖域であることが分かります。下記の写真を見ながらブルっと身震い起こった方、是非、現地にて、足裏からミシミシ・ビリビリと流れてくるエネルギーを感じ取ってください。
番外編
出雲大社から徒歩5-10分ほどの場所には知る人ぞ知る、出雲の根源につながるエネルギースポットがあり、まずは命主社(いのちぬしのやしろ)という出雲大社より400年ほど古い歴史をもつ摂社と、そして真名井の清水(まないのしみず)という出雲大社の御神水です。
命主社の正式名称は神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)として、天地開闢の造化三神の一柱神である神皇産霊神(かみむすびのかみ)を御祭神に祀られており、万物創生の根源となった神様です。出雲大社の御祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)が八十神(やそがみ)からの陰謀で死に追いやられた際、二人の女神さまを遣わせて生き返らせたと伝えられており、神皇産霊神は大国主命の命の恩人と言えます。
また、毎年11月23日の古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)の「歯固めの神事」は、真名井の清水の小石を口に含んで祈祷すると国造を司る者の寿命が延びるという言い伝えがあり、加えて五穀豊穣を感謝する神事として、現在の「勤労感謝の日」の元祖でもあります。ちなみに真名井の清水は伊邪那美の尿から誕生したとされており、神皇産霊神や大国主命といった正に日本の国づくりへ貢献された神々が祀られている強烈なエネルギースポットと言えます。
ストレスやエネルギーヴァンパイヤーから心を開放する方法は千差万別。
私の場合、神社でお百度を踏むことを想像するだけで心が癒され、またお寺に漂うお線香を香ぐだけでふわっと体が軽くなります。ちょっと気が重いや身体がだるいといった症状が出てきたら是非、その時に目についた・気になった神社仏閣や自然の緑の中へ足を踏み入れてください。きっとその空間はあなただけの聖域として「守り」をもたらしてくれるでしょう。