見出し画像

[河俣神社+宗我坐宗我都比古神社+入鹿神社+藤ノ木古墳+阿射加神社_小阿坂阿射加神社] 伴走する神々

神様は常に私たちと繋がっています。
神様の存在への感じ方は人それぞれですが、瑞兆と呼ばれるような出来事を通してその存在に気づかされます。古代人はそういった瑞兆にとても敏感であり、また常に神様と繋がっていたほど、高次元のエネルギーをもっていた人々です。

お金があれば大抵の欲しいものが手に入る時代になりましたが、残念ながら高次元のエネルギーはお金では買えない代物です。逆にお金が無くても手に入れることが出来るのがエネルギーです。そういった高次元のエネルギーへアクセスするには、私たち一人ひとりがそのエネルギーに気づくことから始まります。神様はそういったエネルギーを私たちに気づかせるために常に伴走をしてくださっており、気づくまで瑞兆として現れてくださいます。神籬や磐座、神奈備へ出向いていただき、神様との交信を通して高次元のエネルギーを感じていただければ幸いです。



河俣神社(かわまたじんじゃ) ー 奈良県橿原市

ご祭神に鴨八重事代主神(かもやえことしろぬしのかみ)が祀られていることより、葛城にいた賀茂氏が大和国高市郡へ移動すると共に、鴨都波神社の八重事代主神を分け御霊としてお連れして祀った神社とされており、別称 高市御縣坐鴨事代主(たけちのみあがたにますかもことしろぬし)とも言う。

河俣神社

事代主神と言えば父である大国主神より天津神への国譲りの判断を託された神であり、ただ一言、「国を譲り隠れるべき」と告げた通り、自らもその言葉通りに海の中へお隠れなったため、言行一致の神として知られている。また大国主神を始め、全ての国津神たちが事代主神の言葉に従ったため、託宣の神としても崇敬される。

河俣神社 拝殿
河俣神社 拝殿

海の神を祀る住吉大社と河俣神社は古来よりご縁があり、埴使神事(はにつかいしんじ)という祈年祭や新嘗祭で用いる平瓮(ひらか:神事で用いる薄い土器のお皿)を作るために住吉大社の神官は畝傍山の山頂へ埴土を取りに行くが、そのための装束を河俣神社で整えていたことより、河俣神社は「装束の宮」とも呼ばれている。

河俣神社から望む畝傍山

**
天之御中主神から神様を辿り始めると、古代の人々が神様と共に、日本という国土を開墾してきたことが見えてきます。九州から山口、出雲または、吉備を経由して河内(かわち:大阪)から大和(やまと:奈良)、そしては山背(やましろ:京都)へとのびていく道には、私たちの祖神様となる八百万の神々が降ろされており、またその道は古代豪族が移動してきた道と重なります。神籬や磐座に降ろされた御霊には必ずしめ縄を用いて結界が張られ、一切の穢れの入ることのない清浄なエネルギーとして、今もなお、その土地に宿り続けています。

初めての土地を訪れた時、目の前にあるものだけに集中するのではなく、その土地の土の香りや、風や草木の香り、そして風の中にある音や木漏れ日の中にある光に心を傾けてみてください。ふと湧きあがってくる懐かしさや平穏さ、そして体中にある細胞が喜んでいるといった感覚に、心を傾けてください。きっとその時のその感覚は、私たちが過去世でその場所で暮らしていたり、或いは、大先祖様がその土地に所縁をもつようなことをされていたためにおこっている出来事なのです。

鳥や蝶々、蛇やトンボ等、動物や虫が目の前に突然に現れた時には、神様の遣いである眷属が私たちの訪れを喜び、出迎えてくださっている出来事です。こういった耳に聴こえる、鼻に香る、心にふわっと浮かび上がるような想いはすべて神様或いは、高次元からの祝福のメッセージです。瑞兆を通して降りてくるメッセージを見逃さない・聞き逃さないためにも、高次元のエネルギーが常に私たちへアクセスをしていることを覚えていただければ幸いです。


宗我坐宗我都比古神社(そがにいますそがつひこじんじや) ー 奈良県橿原市曽我町

第33代 推古天皇の御代、古代豪族の蘇我氏ゆかりの神社として蘇我馬子が、蘇我氏の始祖である蘇我石川宿祢(そがのいしかわのすくね)夫妻を宗我都比古大神(そがつひこおおかみ)と宗我都比売大神(そがつひめおおかみ)を祀ったことが起源とされている。

宗我坐宗我都比古神社
宗我坐宗我都比古神社 拝殿

他方、乙巳の変により中大兄皇子と中臣鎌足に殺された蘇我入鹿を第41代 持統天皇が憐れみ、蘇我氏の祖神を祀る神社を創建したことが起源とも言われている。

庚申塔
人間の体内には生まれた時から3つの虫(三尸:さんし)がいるという道教の教えがあり、60日に一度めぐってくる庚申(かのえさる、こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその人間の日ごろの行いを報告するとされ、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。 そのため、この三尸が体から抜け出せないようにと徹夜して過ごすという風習が広がり、3年間18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。

**
蘇我氏は日本の礎を作った立役者の一人として歴史から消えることはなく、未だに飛鳥・橿原・葛城の地を見守っている気がします。
日本へ初めて仏教を伝来させたただけはなく、率先して新しい知識や技能を取り入れた先進的な考え方や物の見方をもたらした豪族であり、その後に起こる大化の改新へ大きな影響を与えた功労者とも言われています。大きな野望を描き、多少横柄と思われるような力技で日本を動かしてきた蘇我氏ですが、その後の天智・天武の変革は蘇我氏の布石がなければ成しえなかった出来事です。

異なる考えや行動が容易に受け入れられない風習は今も昔も変わりません。そういった異なる考えを受け入れることが正しいといっているのではなく、そういった異なる考えを理解しようと努力する姿勢が、風の時代を生きる私たちに与えられた使命です。

異なる考えを理解するには様々な経験することです。そして人が物事を理解するには時間がかかります。中村天風さん曰く、「みだりに生きない」、1日、1日を通して様々な経験をしていくことが、私たちが今、出来ることであり、そして風のように常に動いていくことが大切かなと思います。


入鹿神社(いるかじんじゃ) ー 奈良県橿原市小綱町

入鹿の母の出身地であり、また入鹿も幼少を過ごした場所に入鹿神社が創建されたとされ、ご祭神に須素戔鳴尊と蘇我入鹿が合祀されている。

入鹿神社 拝殿

また神仏分離の際に建物と本尊の仏像が成等山正蓮寺の管轄下となった大日堂が同敷地内に現存する。

正蓮寺 大日堂

**
この場所へ来ると、まるで時がとまっているかのように景色に動きがありません。それはこの場所にとどまりたいという執着からくるエネルギーではなく、むしろこの土地を大切に守っている・保存している見守りのエネルギーのようです。

物事へ執着する気持ちと物を大切にする気持ちが同一視される傾向がありますが、後者は、物を手放す前も後も、その物事を大切にする気持ちには何一つとして変わりがない様を表しています。非業な最期を遂げた蝦夷・入鹿父子の魂は、今もなお、その土地に暮らす方々の手により大切に守られるかのような入鹿神社でした。


藤ノ木古墳(ふじのきこふん) ー 奈良県生駒郡斑鳩町

法隆寺西側に所在する6世紀後半に造営された円墳であり、その石室や石棺からは豪華な副葬品として銅鏡をはじめ、金銅冠類や刀剣、ガラス玉製品や馬具類が発見されたことより、位が高く、法隆寺に縁をもつ方々が埋葬されていたとされている。

藤ノ木古墳 円墳

2人の被葬者が埋葬されており、その人物は定かではないが、穴穂部皇子(あなほべのみこ)や宅部皇子(やかべのみこ)、或いは第32代 崇峻天皇(すしゅんてんのう)の可能性が高いと言われている。

藤ノ木古墳

**
法隆寺を訪れた際、藤ノ木古墳の標識が見えたため併せて訪れました。今では周囲に集落がありますが、昔は障害物が一つもない、とても開けた土地にひっそりと構えていたような御陵です。

法隆寺では少し曇っていた空模様でしたが、藤ノ木古墳へ着くや否や、小雨がパラパラと降りだし、慌てて石棺が見える場所へ走りました。
いきなりの雨でビックリしましたが、藤ノ木古墳に埋葬されている方々からのお出迎えかなと思うと、標識に引き込まれてやってこれたことに、感謝と親近感を持ちました。

藤ノ木古墳の埋葬者についてふと思い出したかのように考えることがありますが、なんとなく、あっという間に石棺の中に入ってしまったような事態だったのかなと、最期は病気だったのかなと思うことがあり、今は法隆寺と共に安住されているようです。


阿射加神社(あざかじんじゃ)・小阿坂阿射加神社(こあざかあざかじんじゃ) ー 三重県松阪市大阿坂町・小阿坂町

阿射加神社には複数の謂れがあり、第11代 垂仁天皇の勅願により、天孫降臨の際、瓊瓊杵尊の道案内をされた猿田彦大神を主祭神に祀るとする説や、安佐賀の山嶺に荒ぶる神がいたため垂仁天皇の皇女 倭姫命が五十鈴の川上の宮へ行くことが出来ず、この荒ぶる神を鎮めるために天皇が様々な贈り物を捧げたところ、ついに鎮めることが出来たため、安佐賀にこの荒ぶる神である伊豆速布留神を祀ったことが起源という説、または猿田彦神が伊勢国 阿邪訶の海にて溺れかけた時、猿田彦神の3つの御魂である底度久御魂(そこどくみたま)と都夫多都御魂(つぶたつみたま)、そして阿和佐久御魂(あわさくみたま)が現れたため、その3魂を祀っているという説である。

阿射加神社(松阪市大阿坂町)
阿射加神社 参道(松阪市大阿坂町)
御神木(松阪市大阿坂町)
阿射加神社(松阪市大阿坂町)
阿射加神社 本殿(松阪市大阿坂町)


阿射加神社(松阪市小阿坂町)
阿射加神社(松阪市小阿坂町)

**
今でも感じるのは、ゾクゾクとする背中が凍り付くような、恐ろしさです。大阿坂町にある阿射加神社の参道は鬱蒼と木々に囲まれており、また入り口にはしっかりと結界が張られているためか、境内へ入ってもいいのかなと一瞬、迷うほどの重さがあります。

阿射加神社 参道(松阪市大阿坂町)

また参道では、気を緩めることが出来ず、常に木々の中から誰かに見られているような、監視されている雰囲気でした。

阿射加神社(松阪市大阿坂町)

参道を抜けた途端、大きく開けた空間には多くの光が差し込む敷地があり、参道での緊張感が一気にほぐれ、目の前にある拝殿へ心が急きました。
伊勢神宮や瀧原宮、伊雑宮と同じように神前には白玉砂利がひかれており、その空間の中でだけ味わえる神様の穢れ祓いを受け取りました。神前では、参道で受けたほどの緊張感はなかったものの、この敷地へ入るにはそれなりの心持が必要です。

一方、小阿坂町の阿射加神社でも同じように雨がふっており、薄暗い日でしたが、神前へ行くとその場所はとても明るく、薄暗さがどこかへ行ってしまうほどの光を受けました。

阿射加神社(松阪市小阿坂町)

白玉砂利がひかれているところは伊勢らしい雰囲気でしたが、なぜか近所の氏神様を訪れているような、とても懐かしい、暖かいエネルギーを帯びており、初めて訪れた場所とは思えないほどのお出迎えを受けました。

一人でいることがさみしくなったり、人恋しくなったり、どこかへ外へ出かけたいけどどこへ行けばわからない時があれば、是非小阿坂町の阿射加神社へお出かけください。少し距離があり、行けないかなと思った方は、まずは「行ってみよう!」と心を決めてください。意外に日本国中、どこでも行こうと思えば、行けます。小阿坂町の阿射加神社は扉が閉まっていて遠い存在に見えるようですが、心でつながれる神様です。


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?