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[胡宮神社+蘇我入鹿首塚+飛鳥寺] 脈々と流れ続けるエネルギー

高次元とつながってくると様々なことが起こり始めますが、それに気づくことも大切です。私の場合、ふいに、言葉が湧いてくることがあります。例えば、小学生の頃、レモン汁で文字を書いた後に、その紙を火であぶると、その文字が浮き上がってくるという実験をやったことがあると思いますが、まさに、突然に文字が心に浮き上がってくる状態です。
この言葉が湧いてくるタイミングですが、神前であったり仏前であったりする場合、神様や仏様といった高次元にいらっしゃる方々からの言霊ですが、墓標の前で受け取ることも多く、その場合その故人からのメッセージのようです。また友人や知人と話していても、言葉が不意に浮かび上がってくるため、この場合はその方のハイヤーセルフの皆さんからのメッセージのようです。
 
他方、言霊ではなく、神様の眷属を通して高次元のメッセージを受け取ることもあります。先日、推古天皇の御陵を訪れた際、赤い炎が古墳から出てきたようなイメージがあり、その道端では蝶々を多く見かけました。法隆寺でも同じような赤い炎のイメージがやってきたため、聖徳太子と推古天皇、そして蘇我氏との強い絆があったことに確信を持ちました。そして飛鳥宮跡では、1匹の黄色い蝶々が不意に現れたと思うと、少しの間、ユラユラと木々の間を通りながら目の前を飛んでおり、ゆっくりと時間を過ごしていってほしいというメッセージを受け取りました。時折あることですが、神社本殿にて両手を合わせて祈っていると、目の前にいらっしゃる神様から赤い紐のようなものがのびてきて、私の祈る両手に紐をぐるぐると回して結わえて(ゆわえる=むすぶ、しばる、くくる)くださることもあります。このメッセージを通して、霊主体従を体現できているかもと、自分の行いに信念が持ち、日々、生きていることを実感します。
 
高次元へのつながり方・つながりの持ち方は人ぞれぞれです。一つだけわかっていることは、私たち一人ひとりにハイヤーセルフと言われる高次元の存在があり、常に私たちを見守って・導いてくださる存在です。
 
高次元にいらっしゃる皆さんのハイヤーセルフは必ず何かしらのメッセージを私たちに流してくださっています。是非、皆さんが個々のハイヤーセルフからのメッセージを受け取る方法を見つけていってくださればいいなと思います。


胡宮神社(このみやじんじゃ) - 滋賀県多賀町

聖徳太子が開基した敏満寺の鎮守社として現在においても神仏習合の形を残しており、ご祭神は多賀大社と同じ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)である。青龍山頂にある磐座崇拝にその起源をなしており、今もなお、山全体が神奈備であり、ご神体である。

胡宮の磐
座礼の広場より山頂を、磐介(いわき)或いは、磐境として山岳信仰の聖域であり、かつては禁足地であった
磐座への入り口
獣害対策用の扉
道のりは険しく所々で獣道となる
お池
磐座へ参拝する前に心身の穢れを落とすための禊池として、 また雨乞いの池として古代信仰の水分(みくまり)

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10分ほどの道のりかと思いきや、40分ほどかかる山登りでした。珍しく、3回ほど「今回はあきらめようかな」と立ち止まっては登る、一息ついては登るの繰り返しをしていると、ようやく「神の森」という道しるべが見えてきました。

道には草木が覆いかぶさっており、獣も歩いていないような獣道は急こう配な箇所も多く、一歩、一歩を着実に踏み出すことで前に進んでいきます。神の森からさらに進んでいくと、木々が覆いかぶさるように目の前にはとても大きな磐座が見えてきました。

胡宮神社奥宮 磐座横面
胡宮神社奥宮 磐座正面

磐座を横から眺めていると、まるでご神体である山から顔と体の一部が出てきており、宇宙を見つめているようにも見えます。

やっとの思いで磐座へ登ってこれたため、その嬉しさと磐座との一期一会に祝詞の奏上と磐笛を吹いていると、どこからともなく、黒いアゲハ蝶が飛んできました。磐座付近をパラパラと舞っているかなと思い、眺めているとそのまま磐座の上部へ消えていきました。まさか、こんな山頂で黒アゲハ蝶に出会えるとは思いませんでしたので、神様の眷属として会いに来てもらったのかなと、途中であきらめずに磐座まで来れたことに感謝しました。


蘇我入鹿首塚(そがのいるかくびづか) - 奈良県高市郡明日香村

蘇我氏の出自は竹内宿禰(たけうちのすくね)の子孫と言われており、順に蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)、満智(まち)、韓子(からこ)、高麗(こま)、稲目(いなめ)、馬子(うまこ)、蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)の時代を経て、大和に一大豪族を築き上げたと言える。また、竹内宿禰と言えば、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代天皇に仕えた、とても長生きをした伝説上の忠臣として、特に神功皇后と応神天皇が祀られる八幡社に合祀されていることが多く、このことより蘇我氏と天皇家の関係の深さは読み取られる。

蘇我入鹿首塚と甘樫丘

蘇我馬子と言えば大陸より日本へ率先的に仏教を取り入れたことで知られており、特に神道派の物部守屋との崇仏論争で勝利したことで日本に寺院文化を広げた人物である。その頃の蘇我氏といえば、豪族の中でも秀でてその存在は大きく、また政治的な手腕もあり一時は天皇や朝廷を思うがままに動かしたと言われているが、近年になり分かってきていることは「大化の改新」で行われた一連の大改革は、この蘇我一族が統率して大陸文化を日本へ取り入れる等の先見の明があったこその賜物と言われている。

飛鳥寺 飛鳥大仏

後の645年の乙巳の変(いっしのへん)では、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり、後の藤原氏)に蝦夷・入鹿父子が滅ぼされることになるが、時世の流れから読み解くと、この父子は無駄死をしたのではなく、ある意味、大きなものを成し遂げるために「負けるが勝ち」を取らざる負えなかったとも言える。当時の日本には統一的な国家が成り立ってはおらず、朝廷の中でも力を持つ豪族たちが各々のやり方で政権を振るっており、その真っ只中に起こった大化の改新劇は、ある意味、バラバラであった朝廷内の勢力を、天皇という一つのまとまりへ仕上げていくための画期的な出来事であり、またその陰で蘇我一族が大きな立役者となったと言える。すなわち、後の天智・天武・持統天皇が行った天皇家が土地や人民を支配する政策の礎を、すでに蘇我氏は着工しており、それは聖徳太子が打ち立てていた「十七条憲法」や「冠位十二階」の制定に蘇我氏が深くかかわっていた痕跡があることによる。

聖徳宗総本山
法隆寺 聖徳太子ゆかりの寺

今の日本が世界に勝らずとも劣らずの国となりえた背景には、蘇我氏のような豪族たちが強い国を創ろう高い志によるものといっても過言ではない。

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入鹿の首塚に入った途端、不意に「お父さん、ただいま」という言葉が心に浮かんできました。私の父も既に他界をしていますがその墓地は入鹿首塚の近くではないため、この言葉に違和感を感じながら、そして首塚五輪塔へ足を進めるにつれ、「お父さん、ただいま」という言霊が強く湧き出てくるようになりました。
「ようやくお父さんのところへ戻ってきた」と私の過去世が入鹿に向かって伝えたかったのか、或いは入鹿が父である蝦夷に伝えたかったのか、未だに分かりませんが、その言葉にはとても暖かい気持ちが込められていた気はします。

入鹿五輪塔
入鹿首塚より飛鳥寺の眺め

蘇我稲目・馬子から始まった本格的な国造りはその子である蝦夷へ、そしてその孫である入鹿へと引き継がれてきましたが、今もなお、蘇我一族の志は私たちの中に脈々と生き続けていると実感しています。特にその礎となった飛鳥寺を眺めていると、まるで飛鳥寺が要石のように力強い改革エネルギーを保持・持続していると同時に、穏やかに見守っているというあたたかいエネルギーも感じました。崇仏論争では蘇我氏が物部氏を倒したという条が記紀神話に表現されていますが、実のところ蘇我氏と物部氏は血縁関係を結んでいた史実もあり、仏教への考え方は異なるものの、お互いがお互いを尊重しあっていた同志関係であったと思います。こういった歴史の中にうずもれている私たちの祖先と交信をしていくことで、更なる高次元への道、そして惟神の道へ導かれていることに感謝しています。 

私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
 
今を大切にお過ごしください。

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