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血で繋がれた家族とは一体?

「家族」ってややこしいなぁと感じることが多々ある。

それは、違う人間にも関わらず、「血」で繋がっているからだ。
親は子供を選べないし、子供は親は選べない。
それを前提に結ばれた「家族関係」は、まぁやっかいだと思う。

それでも、この世界で「家族」である理由がきっとあると考えてきた。



私は昔から母親とよく話す。そして、母親はとてもお喋りだ。
2人で話すときもずっと喋ってるし、一緒にランチへ行って店の前で並ぶ全く知らない人にでも普通に話しかけてるし、娘の私からしたら「よく動く口だなぁ‥」なのだ。「なんで知らない人に話しかけるの?」何度その質問をしたことか。

反対に娘の方と言えば、どちらかというと思考は内に向かっていきがちだから外へ向かう言葉も少ない。そして、育てられてきた中で母親の価値観を自分のものと思い込んできたところがある。


全く真逆の母娘が「親子関係」を結んだ理由が、つい先日判明した。

数年前ある人から「ゲシュタルトの祈り」を教えてもらい、そこを頼りに私は自身を更新してきた。知っている人もおられるだろう。

ドイツの精神科医であるフレデリック・S・パールズが創設したゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩だ。

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」

先日母親が友達との間の悩み話をしてきた。
友達への共感により、自分の感情が乱され、自分の中に「悲哀」が産まれる事を悩んでいたのだ。

それに対し母親へこの思想を紹介したところ、驚愕の事実があった。

「ゲシュタルトの祈り」を音読し終わった後、母親がこう言ったのだ。


『それなのよ、「わたしはわたし。あなたはあなた。」私はそれが強すぎるのよ。だから、周りから投げかけられた言葉で自分を乱されるのが悩みなのよ。』

私は思わず大笑いした。
なんだって?!私はこの思想の詩を胸に、自分を確立させてきたにも関わらず、母親と言えば、娘の私とは全く真逆の悩みだったのだ。

私は共感により自分の存在が揺らいでしまうため、大地に根を張らせるように自身を確立させていく必要があったが、母親は逆で、確立されてる自身を揺らがされることに悩んでいたのだ。


娘からしたら、天と地がひっくりかえるほど驚いた。
46年彼女と『親子関係』を継続させてきたが、NO1。の衝撃だ。
私は確立された彼女に守られ育てられ自身をなかなか見つけることができなかったが、ここ数年で『ありのままの私』をようやく確立してきた。

母親と娘は全く真逆だった。
そして、今母親は今までの私の状況であり、娘と言えば今までの母親の状況なのだ。
私が彼女と母娘になった理由は、お互いがお互いに不足している部分を学ぶためだったのだと全てのことが腑に落ちた。


で、私は母親に伝えた。
『思う存分「悲哀」を感じてくだされ。なぜなら、その『悲哀』という感情はとても大切で人間の存在にとって尊重するべきものだ』と。


私はありのままの自分が持つ気質によって、その『悲哀』に飲み込まれて生きてきた。この数年でようやくそれを尊重できるようになったのだから、確立されている母親ならば、尊重していくことは容易にできるのではないだろうか?

そんなわけで、やはり「家族」というものは厄介な人間関係であると思うが、人生における究極の学びができる存在なのであろうと今は考えている。


親は老い、子は成長する。その関係性はいつか逆転する時がくる。

今、70代を過ぎた母親と新しい関係が構築される予感がしている。
それは 「血」で繋がれた「家族関係」ではなく、「母親は母親。娘は娘。」お互いの生において、自己が確立された中での真の人間関係なのではないだろうか?


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