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イエスに交渉を持ちかける?!

私は神戸にある中高一貫教育のプロテスタントの女子校へ通っていた。
毎週月曜日には礼拝があり、当たり前のように聖書の授業時間があった。お祈りも賛美歌も何の抵抗も疑問も持たずに受け入れてきた。

女子校育ちの私は当時の教師たちから、「我慢はしなくていい。自分を一番大切にしなさい。」そう教えられ思春期を通過してきた。


当時の我が家がクリスチャンといえばそうではなく、通っていた友達のほとんどもそうではなかったように記憶する。私たちは、聖書の時間で、イエスという1人の人間から沢山のことを学んできた。



我が家の母親も今は教会へ行き、毎週日曜日には礼拝に参加している。
何と母親は、そこで、イエスに交渉を持ちかけているのだ!?


わたしには一人息子がおり、この夏本人が希望する研究室の大学院を受験する予定だ。この受験に関し、祖母である母親は孫が希望する場所へ行けることをお祈りしているらしい。
だが、そのお祈りの仕方が、イエスと母親との交渉ごとになっていた。
息子が希望する場所へ向かえること、と、イエスへの信仰心、この2つを交換条件としていたのだ。(100%の信仰心がないみたい(笑))


彼女の半分をクリスチャンの世界に身を置き、まだまだ半分を社会に身を置く母親の姿に大笑いだ。イエスにビジネスを持ちかける彼女が面白すぎる。


そんな母親からある本を紹介された。
『イエスという男』田川建三著
この田川建三氏はクリスチャン界で異端と言われている人物らしいが、母親はこの異端児と言われている彼の言葉が好きらしく、私に勧めてきた。


礼拝でイエスに交渉を持ちかける母親は、クリスチャンでないわたしから見ると、十分に異端児だ。
中高と聖書に触れてきた私は、イエスという1人の先駆者としての彼を改めて知ってみたいと思った。
イエスは神格化されているが、私にとっても母にとっても、革命者の感覚を持つ。


母親が通う教会で、牧師から異端といわれ、自分が言いたいことは仲間に伝え、納得がいかないと仲間を呼び出したり、そんなことをしてるものだから仲間たちに嫌がられながらも、彼女らしく1人の生きた人間であったイエスに向き合おうとする母親の姿はキラキラしている。


母親曰く、「イエスが当時生きていたらかなり変わっていた人物だったと思う。けれど、彼は良心を貫き通し十字架にかけられた。その姿は現代に生きる我々が学べる点がいくつもある。」

早速本屋に行ってこの本を買おうと思う。
神格化されたイエスではなく、大昔生きた1人の人間である彼からもう一度何かを学ぶために。
イエスはキリスト教の先駆者ではなく、歴史の先駆者であることを母親は信じている。

そんなクリスチャンである母親を、「カッコいいぜ!」と思わずにいられないのだ。

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