見出し画像

へウレーカ!

ワタシハ、ナンデナンデセイカラヤッテキタウチュウジンダ。


私の口癖の一つ、「なんで?」
人との対話の中で、心に引っかかることが有れば、目の前の人によく聞いてきた。「えっ?なんで?」と。

今のこの世の中では、めんどくさがられることが多いが、それでも聞き続けてきた。
なぜか?
それは、自分以外の考え方やものの見方、新しい意味や言葉を知りたいからだ。単純に目の前の人間に興味がある。ただそれだけの、とてもシンプルな理由だった。


でも、もっと興味を持つ人間がいた。それは、自分自身である。
自分が何か感じれば、どんなことも自分に聞いてきた。
「なんでそんな風に感じるの?」
「なんでそれを選ぶの?」
「なんでそう思うの?」
「なんでそう考えるの?」



自分以外の人に尋ねた時、答えてくれる人もいれば、スルーされることも多かった。だが、自分に聞けば、すぐに答えは出なくても、時間を置き100%の確率で、私は答えてくれた。これを身をもって体験してきた。

答えなぞすぐに出なくてもいいのだ。人より時間がかかっても、自分の答え以外の正解などこの世に存在しない。ならば、いつか必ず直感やヒラメキとして舞い降りてくるそれを、ただひたすら待つ。
なんで?の問いかけで自身を揺さぶり続け、答えをずっと寝かせておくのだ。


自分に興味を持つ、自分を大切にする、自分を知る、その一つの方法でもある。


自分を貴重品のように扱う。そんな私のことを「めんどくさい」という人間関係を今後自らは選ばない。
なぜか?知ろうとし合えない揺さぶりあえないということは、共にいても成長し合えない人間関係になってしまうからだ。
これが、数年かけて見つけた、今の私の譲れないこだわりだ。それ以外にあまりこだわりはない。


人の精神ほど繊細で神聖な領域はない、そう言っても間違いないと今私は考える。だからこそ、私には人の心を理解する事はできない。
もし、人に対して私にできることが有るならば、それは想像を巡らせることだ。その想像の入り口の言葉が、「なんで?」なのだ。責任のない無限の自由を持つものは、自分の精神であってそれをフルに使う。
それが、私が人のためにできることでもあり、同時進行で他者のみならず自己にもしていきたいことなのだ。



どんな言葉よりも魔法の力を持つ言葉『なんで?』

外側にアンテナ立てて、そこに引っかかるあれやこれを注意深く観察していく。小さい頃、大好きなものを集めてきたように、あれやこれを拾い集め続ける。それらがヒントとなり、自身に問いかけ考え続ける。そして、ある日ある時瞬間に、自分の内側で呼び声が響く。


『へウレーカ!!』
耳を澄まし続け、その呼び声を待っている時間こそが『考えること』だったことに私は気付いた。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?