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【365カレーお遍路】準備編2:最初で最後の悲しみが温かみのある幸せを感じさせてくれる話

何よりもまず、たくさんの中からこの投稿を読み始めていただき、ありがとうございます。

ひとつ前の↓こちらの投稿のつづきです。

お遍路に本気で興味を持ち始めたのは今年の初め頃でした。
5月頃に出ようかと思ったけど、準備がままならないまま、梅雨の四国はえげつないと教えてもらったので、秋にしようと思い直しました。

6月頃〜この9月にかけて、ひとつ前の投稿内にも書いた「心の底から祈願したいこと」が生まれました。
だけど、その祈願したいことは、祈願してもしょうがないこと に変わってしまいました。
この9月の中旬のことです。

ひとつ前の投稿では「詳しくは書きませんが…。」とも書きました。
けれど、「心の底から祈願したいこと」が何だったのか?
書きたいと思います。

もったいぶったくせに教えちゃうぞーみたいな心境ではありません。

もしよろしければ聞いてくださいませんか、という気持ちです。
声ではなく文字なので、読んでくださいませんか、ですね。

もしよろしければ、ここから下もお読みいただけると嬉しいです。

まずは、先日、読める人がかなり限定されている範囲で書いた文章をこちらにも転記したいと思います。
その時のタイトルが
【最初で最後の悲しみが温かみのある幸せを感じさせてくれる話】
でした。
(ここでは一般公開になりますので一部修正しています。)

【最初で最後の悲しみが温かみのある幸せを感じさせてくれる話】

けっこう突然な感じなので、心配をばらまくことになりかねませんが、父が他界しました。
9月中旬のとある朝のことです。
この世から父がいなくなって数日経った今思うことを書きます。

どちらかと言うと、後で自分自身が読んで思い返すために書くんだと思います。
一ヶ月後か一年後か十年後かわかりませんが。
でも、誰かに読んでもらえるのであれば、なんだかとっても嬉しいような気が。

先に言っておきます。COVID-19ではありません。

きっと長くなります。
(追記:非常に長くなってしまいました。しかも雑多で私的な内容です。)
それでも読んでやってもいいかもと思ってくださった方はぜひ読んでください。

前置きだけでもう長め(笑)

ここにきてもうひとつ前置きを。
コロナでこんな状況なので、超身内だけで直葬(←今までこんなやり方があるの知りませんでした)というやり方で進めました。
親戚にもご近所さんにも内緒でこそこそ進めてしまいました。
なので、この件はこの投稿をご覧になっているあなたと私の間だけの話にしておいてくださいませ。
(転載等もお控えくださいますようお願いします。)
直葬は直葬で丁寧に父と向き合って進めることができて、とてもよかったと思っています。
とはいえ、他のやり方と比べようがない、最初で最後の出来事なんですけどね。

さてさて、前置きにつづきまして経緯を書いておきましょう。

この6月だったかな、珍しく父から電話がかかってきました。
「ガンが見つかったんだよ。これから月末にかけて詳しく検査をすることになった。」
なんだかへらへらしながら語っていました。
「今日も仕事してたし、全然大丈夫なんだけど、とりあえず報告ね。」

それから何度か電話したりかかってきたり。
数日間の短い入院を何度か繰り返して投薬のみでガンの治療をすることになったと聞きました。
仕事もしながら治療も進められると言ってました。
それが6月末くらいのこと。

その後も父や母からこれまでより頻繁に電話がかかってくるようになりました。
毎回へらへら笑ってる感じの話しっぷりでした。
投薬治療も進み、経過も順調と聞いていました。
実際にガンの治療の経過は順調だったようです。

投薬のための短期入院は次の週の予定でした。
熱はそんなに無いけどなんだか咳が出るということで、念のため一週間ほど前倒しで病院に行ったそうです。
そこで検査をしたところ誤嚥性肺炎(COVID-19ではない)と診断されました。
自覚症状よりも検査結果が悪かったようで、そのまま緊急入院しました。
血中酸素濃度が上がったり下がったりを繰り返しながら数日が過ぎました。
(完全に余談だけど、血中酸素濃度ってコロナの影響ですっかり詳しくなりましたよね。)

とある休みの日に母から電話があって、病院も含めて細かい用事が複数あって行ったり来たりしなきゃならないけどお父さんがいないから車を運転して欲しいと頼まれました。
電話をもらった次の日に帰省して、車で母を連れて病院にも行きました。
いわゆるコロナ禍で、地方は東京からの人間の移動に厳しいので親からも帰省を控えるように言われていたこともあり、これが約2年ぶりの帰省でした。
コロナ対策の一環か、東京在住の人間は家族でも入院患者に面会NGっぽい。
そうじゃなくても面会は一名までということで、そりゃあ母優先です。
とはいえ、同じ建物の中に居るのに会えないのは残念無念で。
あ、念は有るから無念じゃなくてただの残念か。

今は、最期の時に家族が集まって順番に手を握り声をかけるみたいなドラマとかでおなじみの風景は禁止みたいです。
クソが。
おっと、汚い本音が出てしまいました。
いかんいかん遺憾。

さておき、その日も父の声はへらへらしていました。相変わらず。
父のお店の予約注文をどうするか心配とかしてました。回復する気満々。
電話の向こうで看護師さんに「話す時も酸素マスクしてくださいねー」って言われてました。
あ、↑これ、父には帰省を内緒にしていたので、母が電話しているのから漏れて聞こえた音声です。

その日のうちに用事を全て済ませることができたので、自分は東京に戻ってきました。
翌朝のこと、地震で目が覚めて、その時に母から二回も留守電が入っているのに気づきました。

今となっては、寝てたんかーい!って自分にツッコミ入れたいけど、その時は前日のへらへら声からして、復活するもんだとしか思ってなかったんですね。
愚かでした。

留守電の一回目は「お父さんが息が止まりそう」、二回目は「お父さん亡くなりましたー」どちらも病院からでした。

母は夜中に病院に行って、その時もまだ父と話せていたそうです。
でも、肺の機能は止まりつつあり、血中酸素濃度は下がる一方で、寝ているのか気を失っているのかわからないまま息を引き取ったそうです。

経緯はここまで。

美しい夕日が沈むかのように事切れたのでしょう。
あっけなく。
美しい夕日はあっけないけど、朝なのに夕日って、我ながら比喩がおかしい。

70代の前半でした。
早いのかどうかは私が決めることではないし、本人がどう思っているのかは確認できないけど、いい終わり方だったと言い切れると思います。

私がそう思っていないとやってられないだけかもしれません。

でも、そう思える根拠があるんです。
父は亡くなってもなお 今にも笑い出しそうな にたにたした顔つきだったから。
本当にいい顔。
誰にも見せないと思うけど、母と相談しつつこっそり写真まで撮っちゃったくらいいい顔。

けっこう痩せちゃってましたが、なんなら痩せたからこそ私にそっくり。
私が父にそっくりなのか。

それからは普段通りの精神状態ではありませんでした。
これを書いている今も かもしれません。

悲しみは寄せては返す波のようにやってきます。
浜田省吾さんは悲しみ雪のようにって歌ってましたが、これは波です。
大波だったり小波だったり。
不在を意識してしまったりすると、途端にどんぶらこ。
(あ、浜田省吾さんを否定したいわけではありません。でも浜田省吾さんファンの方ごめんなさい。)

父がこの世から去っただけでこんなにも世界が違って感じられるのか、と驚いてもいます。

この悲しみや喪失感を時間が薄めてくれたとして、私の人生の残りの時間の糧になり得る何かが残ってくれますように。
願わくば。

なにげなくSNSとか見ていて、タイムライン上で普段通りっぽいツイートが流れているだけで刺さります。
普段通りの暮らしを億千万倍 愛おしく思えます。
世間は普通に動いていることが特別なことのように思えます。
なんともない日々のありがたさを身にしみて感じられます。
↑こう書いたらキレイですが、傷ついた自分と普通に動いている世間を比較して不幸自慢みたいな要素もあるのかもしれません。
それも否定できません。恥ずかしながら。

SNSでひとつ思い出しました。

母に頼まれて運転していた日に父が緊急入院していた病院の食堂でカレーを食べました。
そのカレーをSNSで投稿するにあたって、同じ建物の中にいるのに父に会えなかった旨も書いたら、色々な人が色々な方法で気にかけてくれました。
SNSで不安や不満をぶちまけて心配してーって叫んだも同然なので、申し訳無い気持ちにもなりました。
自分でぶちまけておきながら、ありがたいなー、温かいなー、とも感じました。

だけど、最も心に刻まれたのは「お大事に」って素敵な言葉だよなーということ。
大事なものを大事にしよう!
今はテンションが上がってる(精神的に緊張している)から、熱心になってしまっているけれど、これから徐々に落ち着いたり、また別のことで疲れてしまったりした時に思い出したい。
大事なものを大事にしよう!
これ とても大事な気がします。
大事なものを大事にするために、疲れたら休みましょう。
はい。そうしましょう。

また話は変わって、父が亡くなって、久しぶりに実家で過ごす何日か。
ほぼ手ぶらで帰ったので父のパジャマを着て、父のベッドに横になりました。
歯ブラシも父のを。うそうそ。さすがに歯ブラシは新しいのを使いました。
寝室の壁掛け時計は30分進んで設定されています。
タイミングを見計らうかのように壊れかけている父の車のエンジンをかけたら、いつも謎に聴いていた英語のラジオ局(AFNかな)の放送が聞こえてきます。
引き出しからは30年以上前の某海水浴場のお土産キーホルダーが出てきました。この30年で車2回変えてるのに。
そして必要な車検証は見つかりません。
どういうこと?
問いかけても、文字通り、一生返事はありません。
でも、まあ、答えを知りたいわけではないんです。
答えは何でもいいけど、イジるように質問して にたにた回答されるのが楽しかったんですね。
もっと言ってしまえば、問いかけたいわけでもないのかもしれません。
問いかけようと思えば問いかけられる、そして問いかければ相手が反応してくれる可能性が残っている、そういう状態が尊いんですね。
尊いと同時に儚くもあるのでしょう。
永遠に且つ絶対に尊かったら、それこそ嘘くさい。
実際に行動するか否かも大切かもしれないけど、行動に移そうと思えばできなくない状態、選択肢が色々ある状態にあるだけで十分に豊かなんじゃないかと思えます。今は。
たとえば、浜田省吾さんにも「悲しみは波のようなんですけどー」って抗議しようと思えばできたりして。
もちろんしませんが。

さすがに心が過敏になりまくって、街行く人に、イヤホンからの音楽(特にTHA BLUE HERB)に、故郷の風景に、いちいち感動しちゃいます。
なんなら泣いてしまう。
東京の電車内とかだったら完全に怪しい情緒不安的中年でした。

整理したりこれからやることを考えたりしていると、色々出てきます。
実家に送りつけた私が載ったOZmagazineを見ないまま逝ってしまったようです。
録画のハードディスク内には昨年2月と8月に私が出演したマツコの知らない世界が残ってました。
スパイシー丸山さんの放送回のも残ってました。カレー好きか。
スマホの中には病院内でまさかの自撮りをする父。自撮りおじいさんという意外な側面を見せてくれました。
実家の近くをTOKYO2020オリンピックの聖火リレーが通った時の動画もありました。
だけど、指が入っていたよお父さん。
もともと口数が多いわけではない父だから、スマホを通してどんな景色を見ていたかがわかってしみじみ。
父のプライバシーを侵害しつつ、どんな気持ちだったんだろう?とか考えてみました。
さらには幸せな人生だったかな?とかも考えてみました。
もちろん本当のところはわかるわけがありません。
でも、それでいいんだと思います。
生前から父の人生は父のものです。
だから、幸せだったかどうか私が決めるのは違うんです。

上に書いた通り、父のパジャマを着たり父のベッドで寝たりしたのも、父から見た世界を感じたかったのかもしれません。
だけど、やっぱり、そんなのはわかるはずなくて、けっきょく私には私の感覚しかないのでしょう。
それを大事にしていきましょう。

父は私と違ってあんまりしゃべる方ではありません。
だけど、少ない言葉からも、言葉以外の行動からも、色々なことを教わりました。
影響を受けたという方が近いかもしれません。
ROCK&ROLLもLOVE&PEACEも父から教わりました。
エルヴィスプレスリーが大好きでファンクラブに入っていたそうです。
ビートルズのことも父を経由して知りました。
1969年のウッドストックもそうだし、ヒッピーカルチャーについても然り。
父のお店が新聞の取材を受けた時に「お客さんが待ってくれるのであれば、(商品を)ひとつでも作る」というようなことが書いてありました。
子供心に家の家計を心配して大丈夫なのか?聞いてみた時には「日本銀行券は単なる紙切れだから大丈夫」みたいな、まじで意味がわかんない回答だったと記憶しています。
今思えば、大丈夫と思わせたい心意気だったのでしょう。
そういう父です。
まじかっこいい。

亡くなってから数日経って、こうして書いている今もうすでに悲しみは薄れつつあります。

空を見上げて、見ててよお父さん、とか思います。
いつになるのかわかんないけど、あの世(できれば天国)で会おう、とか思います。
今まで色々な人が、↑こんなようなことを言っているのを聞いた時は、どういう感覚なのかわかってなかったのですが、今は自然にそう思えます。
いつかまた思えなくなるのかもしれませんが、今は本気でそう思います。
あの大きな空を吹きわたっている千の風になっているのでしょうか。
もはや言ってることめちゃくちゃですが、自分の中に父がいる感覚もあります。
もし生まれ変わったら今度は友達になろう!とも思ったりします。

私自身のこれからがどれだけの時間なのか想像つきません。
今日で終わってしまう可能性だってゼロではありません。
時々、今日が最期のつもりで生きるべし!みたいな発信を目にすることがありますが、私はそうは思いません。
今日の楽しみはもちろん、明日以降の楽しみだって大切にしたいに決まってるじゃないですか。

とにかく、もうちょっと頑張ってみようかなと思っています。
何をどう頑張るのかわかってないんですけどね。
今までにはなかったこの感じ。
自分自身がバージョンアップされてるのかもしれません。
だったらいいな。

そもそも自分は欲張りなのでしょう。
貧乏症と言うべきかもしれません。

「どちらかと言うと、後で自分自身が読んで思い返すために書くんだと思います。」
と最初の方で書きましたが、悲しみや喪失感が薄れていくに連れて
今ここ(胸の辺りを指差して)にあるこの温かみのある幸せも一緒に忘れてしまいたくない
そんな風に思います。
父の死を無駄にしたくない。
というか、父の死の意味を最大限に大きくしたい。
ここ数日間のような精神状態がつづいたら心身がもたないけど、ただ楽になるだけじゃもったいない。
そして、なんとなく、父に申し訳ないような…
父を言い訳に使ったらもっと申し訳ないですね。
きっと変わりたいと自分自身で思っているのかもしれません。

もっともっと丁寧に大切にしたい気持ちになるかもしれません。
だけど、人一人の心や体は四六時中ずーっと丁寧に大切にしつづける力を持ち合わせていないと思います。
ちゃんと食べてちゃんと休むのが基本だけど、それでも足りない時には助け合って力を出すんだと思います。
人の心や体はそれができるようにできている、今の私はそう思っています。

話が戻ってしまうけど、変わっても変わらなくても結局はどっちでもいいんです。
変わろうと思えたり、変わろうと思えた時に行動できたり、そんなこんなを含めて、尊くも儚くもありながらも色々な可能性が残っていることが豊かなんですね。

こんな雑感を書き連ねた文章を、読んでくださっている人が一人でもいてくれる可能性が残っていることが豊かなんですね。

ここまで読んでくださっているそこのあなた、読んでくださいまして本当にありがとうございます。
読んでいるということはあなたは生きてますね。

何言ってるのかわかんないと思われたり、共感できる部分があると思ってもらえたり、それが起こり得ることが豊かなんですね。

仮に嫌われてしまったとしても、嫌いだと直接告げようと思えばできるわけなので、それはそれで豊かなんですね。

そう思ったら存在してるだけでいいような気もしてきます。

こんなモヤモヤは一生つづくのかもしれません。
明日にはまた気が変わってしまっているかもしれません。
そしたらまた考え直すことにします。
モヤモヤこそ豊かな証拠でしょう。

この文章の最後にTHA BLUE HERBのリリックから引用します。
 毎日の記憶はあくまで
 いつか俺を連れ去ろうとする悪魔へ
 俺なら楽しみまくったぜ
 そう言い放ってやるための蓄え
 こんな感じで生きていくさ
 心は静か
 ハッピーイースター
 あとはもうこれに尽きる
 今日無事
 ここまで着いてきてくれたあなたも
 今日無事
 それが何よりの御加護
 今日無事
 今日無事
 ありがとうございます

追伸:
今年の春から延期して秋に計画しております四国八十八箇所お遍路はやろうと思っています。
お遍路用の白装束じゃなくて父の仕事着の白衣を着て歩こうかなと。
当初は父の回復祈願も兼ねてお遍路したかったけど叶いませんでした。
弘法大師と同行二人ならぬ父も含めた同行三人と言えるのかもしれません。
毎日カレー食べながらのカレーお遍路です。
四国の皆様および四国に友人知人がいらっしゃる皆様、こんな世の中ですが、もしよければお力添えくださいませ。

私的叙情文をこんなところにも置いてしまいました。
それにしても長い。そして恥ずい。
でも公開しちゃう。後悔しちゃう?

ひとつ前の投稿で「詳しくは書きませんが…。」と書いたのに、書いてしまいました。
「心の底から祈願したいこと」とは、主に父の回復祈願でした。

というわけで、祈願したいことは、祈願してもしょうがないこと に変わり、祈願したかったことになってしまいました。

鋭い方はお気づきかもしれませんが、主に父の回復祈願でした。
もしかして、他にも?
それはさすがにもう内緒です。
今度こそ詳しくは書きません。

悲しみは波のように寄せては返します。
臨時の出費こそ雪のように降り積もります。
そして諸々の手続き 手続き 手続き 手続き 手続き…

とほほ
ぎゃふん
やれやれ

かくして、もうこれはお遍路っしょ!と心が決まりました。
父が行けって言ってる気もします。
錯覚かもしれないけど、これはもう行く流れとしか思えません。
もともと行こうとは思っていたけれど。
今だからこそなおさらです。

そんなこんなです。
毎日カレー生活14周年記念な自主企画は、
 #365カレーお遍路2021
に決めました。
父に背中を押されて。
心にLOVEを灯し、尊さと儚さと豊かさ織り交ぜて。

いつやるか?今でしょ!
というわけにはいかないので、今まさに準備&調整中です。

という、この段階で色々足りてないことがわかってきております。
はい。
困ってます。
困ってますので助けを求めることにします。
読んでくださっている皆様にお願いがあります。
ざっくり申しますと資金面のサポートと情報面のサポートをお願いしたく。

次の投稿でちゃんと書きます。

その際はよろしくお願い申し上げます。

(↓につづきます)


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