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おくだ荘の井田塩

『伊豆の民宿がつくっているのに、日本一の寿司屋からの注文が殺到する塩』
そんなキャッチフレーズで、地元、伊豆が誇る塩。
静岡県沼津市井田で塩づくりをされている、おくだ荘 弓削美幸さんを訪ねました!

民宿が塩づくり?

その名が示す通り、元々は民宿を営まれていた「おくだ荘」。
この井田の地域では1500年前から塩づくりが行われていた歴史がある。一時は途絶えていた塩づくりを、美幸さんのお父さんの代で村づくりとして復活させた。

​第20代安康天皇の和歌には、「角山(かくやま)のふもとで焼いた塩を薬にしたら病気が治ったので、その土地の名前は「癒えた」からとって「井田」にしよう」というものもある。

民宿を営む傍ら、伝統的な平窯製法で手間暇かけての塩づくり。
心を込めて作るそのおいしさが口コミで広がり、今ではなんと全国の星付きの名高いレストランや寿司屋から注文が殺到し、熱狂的なリピーターを多数抱えている。

日本には良質の塩がたくさんある。どの塩も独自のこだわりと風味、それぞれのストーリーがあり、「これが一番!」と決められるものではない。
どうしても、ブランドや老舗の名前が広がりやすいこの時代。
「民宿」という、伊豆っ子とっては身近な存在が作りながらも、その「味」「おいしさ」で一流の料理人やこだわりを持つ人が惚れ込む塩!

どんな人がどんな想いで作っているのだろう?
知りたくて!

日本一透明な海が育む、塩の味

山深い道をくねくねとひた走り、車酔いでフラフラな状態で到着。最後は景色を楽しむ余裕すらなかったが、車を降りると爽やかな空気と高い空。ふわっと体が軽くなる感触があった。

美幸さんご一家が管理するミカン畑を抜け、米を栽培する田んぼの脇を歩き、5分ほどで海へでる。

こんな海が伊豆にあったとは!
堤防に立つと、驚くほど透き通った海が、すぐ足元に広がっていた。

20、21年と海水透明度調査日本一(環境省調査)にも選ばれた日本一透明な海!

ここで海水を組み上げ、薪で火を熾し平窯でじっくり焚き上げる。

4つの窯を同時に見るのはまるで四つ子の世話をするように忙しいとのこと。
地元の間伐材等を使用し、火を熾す。灰は田んぼに撒いて肥料に。豊かな自然の循環。
塩づくりを体験させて頂いた。滴っているのはニガリ。

24時間薪をくべながら塩を煮詰めていく、寝ずの作業。使う薪の種類、火の熾り具合で塩の出来も変わる。
焚きあがった塩をバケツに移す作業は、美幸さんはテンポよくスイスイと涼し気にこなされていたが、これも意外と力が必要。熱気もすごい。
伊豆には塩づくりをやっている所が今でも7~8軒ほど。同じ海水を使って同じような作り方をしても、それぞれの個性がでるという。
「木に話しかけちゃあ、塩とにらめっこしながらやっています」

塩とお米とみかんと。

そんな体力勝負の塩づくりの傍ら、みかんとお米等も作る美幸さん一家。(お母さんとご主人との3人)

広大な田んぼ。草取りだけでも目が回るとのこと。

ここは人口63人の所謂「限界集落」。平均年齢は70歳を超えている。祖先から伝わる田んぼや畑も、徐々に管理がしきれなくなってしまうご高齢の方も多い。美幸さんご一家はそんな手入れできなくなったご近所の田んぼも引き受け、ほとんど農薬を使わずに米や作物を作っている。現在は塩づくり、田畑で手一杯で、民宿は一旦お休み中。

「農薬は規定通りに使おうとすると何回も何回も撒かなければいけない。うちはよく言えば無農薬だけど、農薬を撒く時間や余裕がなくて、サボってるだけ!」
そんな風に笑う美幸さんだが、安全な食品を作りたいという想いは非常に強い。ハーブや塩づくりの灰を上手に取り入れ、手間暇をかけて自然の循環でモノづくりをしている。

お話を聞いていくと、その忙しさに圧倒される。
塩づくりや販売だけでも大変なはずなのに、ご近所さんの田畑まで・・・

『何でそんなに頑張れるのですか??』

井田への、自然への恩返し

美幸さんはおくだ荘の三姉妹の長女として生まれ、いつかはお婿さんをもらって民宿を継ぐことを期待されていた。繁忙期は100人近い人が押し寄せる人気の民宿。夏用布団と冬用の布団の入れ替えだけでも重労働。
大変そうなお母さんの背中を見て、実家を継ぎたいとは思えなかった。

一方で幼少期は毎日毎日海で潜って遊んだ。サザエを獲ったり、空を眺めたり。美しい海と大自然。それが普通だと思っていた。

井田の海に入った後はすぐにウェアを洗うべし!とダイバーやサーファーたちが囁く程、井田の海水は塩分が濃いらしい。

結婚して実家を出て、手伝いに帰るという形で実家を往復する日々の中で、お父さんが突然倒れる。
予期せぬ死に、目の前が真っ暗に。それでも美幸さんには泣いている暇はなかった。
民宿は?生活は?塩づくりはどうする?
なんとかしなきゃ!その想いが強く、4年経った今もお父さんの死にまだじっくりと向き合えていないという。それくらい毎日が忙しい。
理解あるご主人と実家に戻り、現在は塩づくり・農作業を精力的にこなされている。

「実家を継ぎたいと思ったことはなかった。だけど小さい頃からお世話になっている人や自然に恩返しみたいなもの。」

引き受けた畑も、昔お世話になった人達の畑だからこそ。
小さい頃から助けてもらった海にお返しするつもりで塩を作る。
お塩を買ってくれる人にも一人一人に直筆のお礼のお手紙を毎回添える。

美幸さんの「恩返し」の精神は、どこまでも深く圧倒された。

「ここで作られるものは体にも心にもおいしいに決まってる!」どこまでも美しい自然の説得力。

地元の人が作るもの。そこには時を経て積みあがった深い想いがある。
(もちろん地元以外の人がご縁あって作る食品もそれぞれ素晴らしいが!)

小さな頃から遊んだ海。ここで食べたもの。過ごした時間。家族。
与えてもらったから、今度はこちらが与える番。
感謝の循環の中で、作られる真心のこもったもの。
そんな想いがたくさん詰まったおくだ荘の井田塩。

売れるほどに弓削さんご一家は期待に応えようとお忙しくなることと思うが・・・是非たくさんの人に味わってほしい。

「うちのお米と塩で作った塩むすびと、塩麹の唐揚げは最高!今度来るときは作ってあげるから!」
さすが民宿の長女さん。大自然と共に歩んだおもてなしの民宿の歴史そのものが、日本中から選ばれる塩の源流のように感じた。

またお邪魔させてください!


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