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健歯児童審査会、一時の栄光と恥

小学生のとき、学校の定例歯科検診で歯並びが評価され、「校内の男子の中で最も歯並びがいい人」として市の催しに出ることになった。

校内で1番歯並びがいい児童を男女1人ずつ呼び寄せて褒め称えるという、よく分からないコンセプトの催しだった。

たまに受けさせられる学校の歯科検診なんて、ただ虫歯の有無を調べられるだけの時間だと思っていた。

そんな選別を兼ねたものだとは思いもしなかったし、そもそもそんな催しがあること自体知らなかった。

それでも、分野が何であれ、自分が学校の中で1位を勝ち取ったということが誇らしく、
降って湧いたような名誉に一応喜んでいたと思う。

最終選考まで残ったのが同じサッカー部の子だったこともあって、彼を蹴落として勝ち上がった瞬間だけは純粋に嬉しかった記憶がある。

しかも、彼と自分は同じくらいサッカーが下手くそで、いつも一緒のベンチに押し込められていた仲間だった。
狭いコミュニティの底辺で、少しでも上の地位を確保しようと2人で静かに争っていた。

似たような背格好の、ガリガリで色白な少年だった。

そのうち、同じタイミングで2人ともゴールキーパーに転向した。
ほとんど競争相手がいなくなった場所で、再び小規模な争いを繰り返していた。

そんな彼に、全く違う分野での事とはいえ、明確な形で1勝できたことが嬉しかった。

その場で飛び跳ねて喜ぶような強烈な感情ではなかったものの、しっかり噛み締めてしばらくの間は機嫌が良くなるようなしみじみとした嬉しさだったと思う。

なんでこんなことを覚えているのかといえば、その瞬間の感情がそれなりに大きかったからだと思う。
また、彼の敗因が、練習の時にいつも飲んでいた麦茶が原因で、彼の綺麗な形をした前歯に茶渋がべったりついていたことだったのも大きい。

それを聞いた瞬間に、「あいつの歯のアレって茶渋だったんだ」と思ったし、
「歯のアレが何かの勝敗を分けることってあるんだ」とも思った。

歯並びが良くても茶渋がついていたら落選になるという審査の基準もよく分からなかったし、そもそも歯の何を競わされているのかを理解できていなかった。

今になって考えてみても、小学生に茶渋の手入れまで求めるのは酷だろうと思う。
持って生まれた歯並びが綺麗で、虫歯もないならそれだけで表彰してあげてもよかったんじゃないかと思ってしまう。

まあ、そんなこんなで歯の代表に選ばれて、後日、5限と6限を公欠して催しに出ることになった。
学校行事でもないのに自分だけ学校から出ている特別感に、ワクワクしていたと思う。

同じく予選を勝ち上がった、喋ったこともない転校してきたばかりの女の子と2人で気まずい思いをしながら、そこに引率の先生を加えた3人で会場に向かった。

学校近くの乗ったこともないバス停から、
「生涯学習センター」という如何にもな名前の施設に連れていかれた。

到着すると、会場内で再び歯科検診を受けると聞かされ、控室のような場所に通された。


そこには、各小中学校から集められた、歯並びがいい子供たちが山ほど集められていた。

ひとつの学校につき男女1人ずつが来ているとして、市内に学校がいくつあるか考えると、なかなかの人数だった。

「歯並びがいい」という共通点しかない知らない人が、同じ部屋に大勢ひしめいている環境に頭がついていかなくて、少し気持ち悪くなった。

大人に頼んで、水かなにかを飲ませてもらった気がする。

どうにか健歯児童の巣窟にも慣れて、「自分はここに学校の代表として来たんだ」という心構えができてきたあたりで、検診の順番が回ってきた。

パーテーションの中に座らされて、歯科医らしき人から口に鏡を突っ込まれながらじっと座っていると、
いつもの歯科検診よりもあっさりと鏡が引き抜かれ、若干半笑いの歯科医に「ジュース飲んだ後とかちゃんと歯磨いてる?」などと質問された。

普通に奥歯が汚かったらしかった。


検診待ちの列に並びながらなんとなく聞こえてきた感じだと、そんなことを言われている人は誰もいなかった。

校内で1番になった歯は、市のレベルで全く通用しなかった。

あくまでも、「学校の中で選ぶなら君です」と指名されただけであって、絶対評価で歯が綺麗なわけではなかったようだった。

結局、「今後は奥歯も意識して磨きましょうね」という、ただ普通に歯医者に行った時のようなアドバイスだけをもらい、耳を真っ赤にしながらパーテーションの外に出た。

その後の催しでは、会場での検診で選ばれた、「代表の中でも特に歯が綺麗な児童」を順番に表彰していく流れになった。

当然、そこで名前を呼ばれることはなかった。
しかも、同行した転校生の女の子の方は普通に表彰されていた。

「校内で1番です!」と言われて履かせてもらっていた下駄をむしり取られ、
恥ずかしくて顔を真っ赤にしたまま、下を向いているうちに催しが終わった。

帰りのバスでは、行きとはまた違う種類の気まずさが漂っていた。

学校に着くなり解散になって、いつものように、どれだけ頑張っても練習中に1回も褒められないサッカーの午後練に途中参加した。

しっかり賞状を持って帰ってきた女の子の方は、全校集会で表彰され、それをきっかけにクラスで話しかけられることも増え、転校先で馴染む足がかりを掴んでいた。

それにひきかえ、公欠までしたのに手ぶらで帰ってきた私は、彼女がクラスメイトと歯の賞状の話をしているのが聞こえてくる度に、あの歯科医の顔が脳裏に浮かんできて耳が真っ赤になるだけだった。

あの女の子と一緒に公欠届けを書いて、意気揚々と校門を出たあの日の自分は、「井の中の蛙」そのものだった。

こういう恥のかき方を、ほとんど人の目につかない変な催しで済ませておけた、という意味ではプラスの出来事だった。

いや、あの誰にも共有できない恥ずかしさを思えば、普通にマイナスだったと思う。


なんとなくマウスウオッシュをしながらシャワーを浴びてみたら、いつもとは毛色の違う記憶を思い出した。

結局、当時の自分が誇らしげにしていたご自慢の歯は、中学の時にレモンの皮を食べすぎたせいで溶けてガタガタになってしまった。

ストレスに対処する方法をほとんど見つけられず、クエン酸の抗酸化作用にすがりついてしまった。
異常な量のレモンの皮を食べ、酸で歯の一部が溶け落ちた。

奥歯の穴に使うような詰め物を歯先に埋め込んでもらって、どうにか人前でも笑顔になれる程度の歯並びを保っている。


そうして詰め物で整えられた紛い物の歯並びになった後だったにもかかわらず、高校の時に1度だけ歯並びを褒めて貰えたことがある。

歯並びにコンプレックスを抱える人が投げかけてきた、僻みに近い言葉ではあったけど、

そういう時に出てくる言葉ほど本音に近いような気がするし、
何よりも他人に「歯並びがいい人」という印象を持たれていたことが嬉しかった。

溶けたくぼみに詰め物をした歯並びに対してちょうど自信を喪失していたところだったこともあり、
本来の文脈とはかなり違う受け取り方をして内心喜んでしまった。

歯に関連しているからか、健歯児童の記憶に付随してそんな記憶も蘇ってきた。


人生に行き詰まり、自分には誇れるものが何もないと感じてばかりの日々を過ごしていた。

そんな中でも、こうした些細なきっかけで思い出された些細な記憶から、ねじくれた認知の歪みを矯正することができるらしい。

今回のように完全な手詰まりになるようなことが起きたとして、そこでまた極端に全てを諦めて年単位で腐り果てるような状況に陥りそうになったとする。

その時に、一旦踏みとどまって今回のことを思い出してみることができたら、なにか状況が好転するかもしれない。

この記憶を掘り起こしたばかりの現時点では、そう思えている。

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