アーティストからみた「VTuber」

今回もコンセンサスも根拠も何もない、個人的経験からの推測エッセイです。

私にはお仕事含めて3つの顔があります。それを前提として、今回アーティストからみたVTuberを「関係性のデザインを行う存在」と位置付けました。

・職業デザイナー
 →かけることのできる時間と頂くお金で、クオリティをコントロールする
・アーティストとR&Dデザイナー
 →できるだけ時間を割いて、その時点での最高のクオリティを求める
・学術系VTuber
 →アイドル要素を持つこともあり。学術としての正確性や深さは重要視するが、創作物のクオリティは最重要視しない。かけられる時間で楽しむことを重視する

VTuberはアイドル的要素を含む

要するにプロか趣味かの違いだけですが、これが「VTuber」という(私の中での)定義に大いに影響をもたらしていたことが分かりました。
私にとって個人勢VTuberは「(もちろんいい意味での)趣味人」であり、視聴者やファン、読者など、関わって下さる方との関係性をいかに大事にするかというアイドル的要素を含むものだと考えました。
それは生配信をしない動画勢・TwitterやNoteなどのテキストベースで活動する方々・真面目最高峰の学術系VTuber問わずです。
「VTuberはアイドル的要素を含むもの」。
アイドル論を研究している知人さんたちに殺されそうな明確な根拠のない経験上からの答えですが、YouTubeのコメントに気を配ったり、Twitterで話しかけて下さる方々に気を使った返事をしたり、逆にポジティブな言葉をかけたり…とにかくどの場においても「関わって下さる方々に気を使う」存在であると思っています。そして未完成であることが許される。それが「アイドル的」であると。

ストイックなアーティスト

そう、アーティストと真逆の存在です。
例えばアイドルの歌について。音程がしっかり取れていない、かといって作り出す世界観が秀逸というわけでもない。ただ可愛らしい。
これはアーティストでは絶対に許されません。見目の関係からアイドル性で売っていく場合は周囲で許す方もいるでしょうが、少なくてもアーティストとしてそれなりに場数をこなしているプロであれば、本人自身がそれを良しとしません。可能な限り時間を割いて、最高のものを目指します。

なので多くのアーティスト(音楽・映像問わず)はいざ本業となると、ストイックで厳しい存在です。関わって下さる方にアイドルのように笑顔を振りまく暇があれば、その時間を作品制作に使いたいというのが本音でしょう。
私はもし自分が歌を出すとしたら、「アーティストの私」は「きちんとボイトレを受けた上で挑もう。元々の専攻がサウンドアートなんだから、音を外したままで、ましてや売るなんて論外すぎる」と考えます。テスト開発の過程を見せるのは別にして、きちんと作品として完成させて「発表」したり「売る」ならば、自分の中でのプロとしてのクオリティラインに達していなければ見せることすら恥ずかしい、と思います。

関係性のデザインを行うVTuber、成果物がすべてのアーティスト

でも「VTuber」としての私は未完成・未成熟、それに対する甘えを良しとします。もちろん「遊ぶ」ことも。
出てきた成果物は関わって下さった方とのコミュニケーションの出力結果である。出力結果のクオリティに注力するよりも、より多くの方々と濃いコミュニケーションができるデザインこそを考えるべきではないかと思うようになりました。学術が絡むと正確性などの要素が入ってくるのでハッキリとは言えませんが、VTuberにおいて必要なのは「それぞれが考える、より良いコミュニケーションをデザインする」なのではないか、が最近の私の答えです。

アイドル的要素を含むVTuberは未完成・未成熟、甘えが許される。そして成果物のクオリティより、いかに関わって下さる方々と関係性を作るかが重要。アーティストはそれが許されない。成果物のクオリティがすべての世界。
この生き方の違いが「VSinger」を生んだのではないか、そう思うようになりました。

余談 :
「VTuberは関係性のデザインをする存在」ということから、サイエンスコミュニケータなどのコミュニケータ的活動が実は向いているのではないか、と思うことがあります。
もし例えばキズナアイちゃんが科学館の学芸員さんレベルの知識を持っていたら。彼女の知識をもとに彼女なりの考察を述べることができたなら。それが許される存在だったら、それならノーベル賞の特番であれほど叩かれなかったのではないか、と感じてしまうのです。



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