見出し画像

ばあちゃん

その人は洗濯物を干していた。
雲一つない晴天、ぬけるような青空の下。
風にはためく大きな白いシーツを広げていた。


⭐︎⭐︎⭐︎


夫のヒカルは子供時代、ほとんどの時間をばあちゃんのそばで過ごした。義母のナオミはシングルマザーで、いつもがむしゃらに働いていた。ヒカルが眠ってから帰ってくる。

粉ミルクから離乳食にかわった日も
初めて歩き出した日も
高熱がなかなか下がらなくてふうふういってる日も
ばあちゃんがヒカルのそばにいてくれた。

ナオミも一人っ子、その息子ヒカルも一人っ子。

ばあちゃんにとって、ヒカルはかけがえのない大切な孫だったに違いない。
ヒカルの子供時代のアルバムを見ると、写真のどこかに必ずばあちゃんの姿がある。そしてヒカルは、ばあちゃんの手か足のどこかに触れている。顔には笑顔が光っている。誰かに全肯定されていると感じている者が放つ光。
ヒカルにとってもばあちゃんは、かけがえのない存在だった。ヒカルは、小中高大、そして会社までも家から通える所を選んだ。

それなのに、である。

そんなヒカルを、連れ去ってしまった者がいる。
それが嫁の私だ。

ヒカルは嫁との新生活をするのに、別居という手段を選んだ。一度、家を出てみたかったらしい。私はそそのかしていない。

結婚式の当日、めっきり足が弱くなったばあちゃんは、ゆっくりゆっくり歩いていた。ゆっくりゆっくり私の前に来ると、
「ウエディングドレス、綺麗かぁ。」
と目を細め、
「ヒカルをよろしくね。」
と言うと私の手をしわしわの手でぎゅうっと握った。

私にはばあちゃんはいない。父方も母方も早くに亡くなっていたので、ばあちゃんが初めてできた。ぎゅうと握られた手のぬくもりを感じながら、ばあちゃんの寂しさについてぼんやり考えた。でも、次から次へと押し寄せてくる祝い客の対応をしている間に、ばあちゃんは親族席の隅っこの方へいつの間にかもどってしまっていた。


⭐︎⭐︎⭐︎


結婚後初めての敬老の日。

ヒカルはゴルフの打ちっぱなしに行っていていなかった。私にはまだ子供はおらず、しなければならないことが特にない。遅い朝食を食べたら、手持ち無沙汰になった。ふと、ばあちゃんのことが頭に浮かんだ。
「ばあちゃん、今、何しているのかな。」
「ヒカルがいなくなった後、人数が減った家で寂しいだろうな。」
そう思ったら、会いたくなって、電話もしないで行ってみることにした。

ヒカルの実家の近くに路駐して、歩いて行く。
雲一つない晴天、ぬけるような青空の下。
この間までと違って、湿気のないからりとした爽やかな空気だ。道路ばたには赤い曼珠沙華が4、5本ずつ固まって咲いていた。
門をくぐると植木の向こうに芝生のスペースがあり、そこに動く人影が見えた。その人は洗濯物を干していた。
風にはためく大きな白いシーツを広げていた。

かさかさの骨ばった手がゆっくりとシーツの絡まりをほぐし、物干し竿にかける。そして、慈しむように丁寧に広げていく。風があるのではたはたと力を持ち、うまく抑えられないが、それでも根気強くしわを伸ばす。


なんだか、永遠に見てしまいそうになった。


ハッとして、植木の陰で、息を整えて声をかけるタイミングを見極める。
今だ。
「ばあちゃん!」
シーツの向こう側に声をかけた。
ばあちゃんは、あっと口に手をあてると棒立ちになって、しばらく驚いていた。
そして、やっと小さな声で
「まあ、来てくれたの。ありがとう。ありがとう。」
と言った。目尻が少し濡れていた。

ばあちゃんが大好きなヒカルではなくて、その嫁だけが来ちゃったけど、大歓迎してくれた。
私も嬉しかった。
ヒカルがばあちゃんのことを大好きな理由がわかったような気がした。


⭐︎⭐︎⭐︎


今はもう、ばあちゃんはいない。

あの時、衝動的に会いに行ったことは、今でも嫁入り先で話題に出る。

家族が増えると、家族を思う気持ちも増える。
ばあちゃん、私も大好きだった。


⭐︎⭐︎⭐︎


この話は、作者の妹夫婦の話である。
このエピソードを聞いたときに、妹らしくて笑ってしまった。

コロナ禍で高齢者と会うことは、配慮が必要だし遠慮しなければならないことになってきている。

でも、人に会うってすごい。
生の人に会うと動かされる気持ちがある。

今だからこそ、そのすごさにその重みに気がついた。
敬老の日に、書きたくなった。

ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。