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それもすべて同じ一日



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昨日の朝、パンをもそもそと齧っていたハトちゃん(娘の仮名)が、泣いていた。絞り出すような声で言う。

「今日、学校へ行きたくない」

私も泣きたくなった。
寄り添いたい気持ちと、今すぐにも仕事に出発したい気持ちのせめぎあい。

朝の雑務をこなす手を止めないようにしながら、ハトちゃんの話を聞く。全部聞く。ぜーんぶ聞く。
ハトちゃんには識字の障害があるので、語彙力に乏しい。話が行ったり来たりするし同じことを何度も言ったりする。それを「うん。うん。それで?」と促しながら聞いた。
ハトちゃんは9歳女子。定形発達の同級生達はもっと複雑な感情表現をするようになってきている。お友達が「あなたも知ってるでしょこのくらい」と話している単語がハトちゃんには通じていなくて、会話がとんちんかんに噛み合わないことが多くなってきているようだった。今回も、ハトちゃんの仲良しの子と意思の疎通がうまくいかなかったことを、切々と訴えてきていた。
しかし私は頭の隅で「こないだまで、ヨダレかけをしてオムツをしていた赤子であったが、そのような感情の機微を私に呈するようになったのね。」などと感慨にふけって愛しく見つめてしまう。そこで、ハトちゃんをぎゅむと抱き寄せてみると、目が私のアゴくらいの位置にあって、頭のてっぺんからふわんとシャンプーの匂いがした。

その体勢のまま二人でじっとしていた。
スーハー。スーハー。
鼻をすする音が止まったので顔を見ると、泣き止んでいるようだ。ほっぺにはまだ乾いてない涙の筋はあるけれど。

しょうがない。やっぱり、仕事には遅れるしかない!
とわたしが決心するのと、
「ハトちゃん、学校行くね。」
と言うのはほぼ同時だった。
今日は一時間目が体育だから、体操服に着替えて行くそうだ。

急に学校へ行く方向に舵を切るハトちゃん。

「え?え?」

私の方が気持ちが追いつかない。

どんどんパジャマを脱いで、さっと体操服に着替えて、制服をもじゃっと体操服袋に入れると、ランドセルを背負って玄関から全力で走り出ていった。制服のプリーツスカートは着ていかなかったけど、しわにならないようにって、つりひもをショルダーバッグみたいに肩にかけてた。

ふわん。

と、シャンプーの匂いと背中の残像だけが残った。

親は、結局、背中をみおくるしかできないのかもしれない。
どんなについて行って守ってあげたくても、ハトちゃんだけの世界があってそこで彼女が掴み取ってうまくやっていくしかない場面があるのだ。
祈るように、そう思った。



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これまで結界がはってあるかのように足を踏み入れなかった街がある。
何故かその街の駅に降りたつ羽目になった。
先方の都合で書類を持って行くのだ。

昔、付き合っていた人が住んでいた街。

駅のターミナルビルはすっかり様変わりしていて、知らない駅になっていた。改札も場所が違う。違っていても良いはずなのに、ついつい変わっていないものを目で探してしまう自分に気がつく。

上から見ると丸かっこ( )みたいな形の藤棚。
歩道にある車止めの球体の石。
駅のすぐ前にある老舗のお菓子屋さん。

そして、目が吸い寄せられた。

駅前ロータリーのバス停のベンチ。

そこは、私が拒絶された現場だった。
せくような焦りが胸の中に再現されて、頭を軽く振った。彼の家まで向かうバスに乗れなかったあの日。「来なくていい」と電話で言われたあの日。

泣いているン十年前の私の背中が見えたような気がした。
心は千々に乱れている。
私は、女そのものの目をしてそこにいた。





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先週末にこたつを出してから、父の寝る時間が遅くなった。
といっても、睡眠時間は変わっていない。
こたつで眠ってしまっているのだ。

夜のルーティンとして、父を起こして布団へ移動させることが加わった。

父のいるリビングへ足音を立てて向かう。
「もおお、こたつで寝ないでよ!布団で寝て!」
と大きな声を上げて部屋に入ると、昨夜の父は起きていた。

決め付けていた自分にはっとしながら、こたつに入っている父の背中をじっと見た。なんだか、丸っこくて小さかった。
私を守ってきた父は、今は、年老いた犬を抱っこしてぬくぬくとミカンを食べていた。

まあ、いっか。

娘の私に出来るのは、風邪をひかないようにしてもらうことだ。すぐ寝てもらうことではない。今度は、そっと扉を閉めて足音も静かに離れた。





すべて、同じ、一日。





ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。