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あの頃の未来に立っているのかな。


「ねえねえ。4枚もタオル持ってっていいんだってよ!どれ持っていこうかなあ」
娘のハトちゃんは、張り切っていた。ワクワクが私に流れ込んでくる。持って行く物リストを片手に一週間以上前から準備をし続けている。そりゃあ、楽しみだろう。いつもはお昼に学校でしか会えないお友達と、夜眠りにつくまで一緒にいられるんだもの。

ハトちゃんが通う小学校では、5年生には宿泊訓練という行事がある。貸切バスに乗って山へ行き県の宿泊施設に一泊二日して帰ってくる。それだけ。でも、私の心中は穏やかではなかった。支援級を飛び出し、交流級のお友達と一夜を過ごす…。

「ハトちゃん大丈夫なのかなあ」

ハトちゃんの学年の大多数の子たちは日常生活を難なくふつうにおくっている。一般的に10歳ともなると、身の回りのことは親がそばについていなくてもほとんどのことはできるみたいだ。一方、娘のハトちゃんは自閉症スペクトラムと知的障害(軽度)を併せ持っているので、療育のサポートを受けることで、身の回りのことができるように訓練している途上にある。一つ一つ獲得していっている最中なのだ。

例えば、お風呂に入るという行動。
療育の先生とアイデア出しをして、行動を分解した。スモールステップで徐々に一人でもやれることを増やしていった。

【お風呂に入る】
お風呂に入る気持ちになる(←重要)
決してリビングで服を脱ぎ始めてはいけない脱衣所へ行く
着替えを準備する(パンツ、キャミ、Tシャツ、短パン)
今着ている服を脱ぐ
脱いだ下着を洗濯カゴに入れる
かかり湯をする
シャンプーする(5行程)
体を洗う(12パーツ)、よく流す
湯船に浸かる、温まるまで出ないこと
体をふく(12パーツ)、頭をふく
着替えを身につける(パンツ、キャミ、Tシャツ、短パン)
衣類を身につけてからリビングへ出ていく

ぎゃー!多すぎる。
この行程を見た私は絶望したものだった。私がやった方が早いよ、絶対。

分解したステップを、ハトちゃん一人でやってみる。そして難しかったところを洗い出した。そして改善する。
着替えを準備するのに、いちいちクローゼットへ行くのが面倒。脱衣所で調達できるようにパン&キャミの場所を作った。
液体シャンプーは泡立てるのが難しく流すのにも時間がかかる。泡タイプにする。
シャワーはお湯が出るまで時間がかかる。冷たい状態で何度か失敗させる。お湯になるまでは出しっぱなしでも良いと納得させる。

トライアンドエラー。

お風呂に入るって、大変だ…。

大変だけど、ハトちゃんはなんとか一人でお風呂に入るようになった。まだ時々は呼ばれる。シャンプーの流し残しがないかチェックするときと、頭を拭くときの仕上げと。ハトちゃんは、それ以外はできている。毎日繰り返し続けてお風呂スキルを身につけた。

でも、これがゴールじゃない。

私の心の中は、心配の雲がもくもくと立ち込めていた。


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何度も何度も練習した家のお風呂や学校のトイレだとできる。でも初めて行く施設にある、初めてのお風呂やトイレではできないと予想される。これからは、場面や状況が変わってもハトちゃんに応用してやり遂げられる力をそなえて欲しい。

「般化(汎化)」
もとは心理学の用語で、物事を関連付けて考えたり、過去の経験を応用することを指す。しかし自閉症児は独特のこだわりを持っていて、状況に応じての般化が苦手なことが多い。「1つの課題と1つの場面」この結びつきが強すぎて、場面が移り変わると同じような行動をとることが難しい。そこでソーシャルトレーニングを通して1つの意味に対して、たくさんの事例を体験し、一貫したカテゴリーを整理していく。療育としての「般化」にはこのような意味がある。

ハトちゃんにとって、宿泊訓練はまさにこの「般化」を獲得するためのソーシャルトレーニングになるだろう。
洗面器の大きさや形は家と違うはず。シャワーのカラン操作もいつもと違うはず。着替えだけでなくシャンプーとボディソープも脱衣所に持っていかなければならない。できるかなあ?

私と支援級の担任の先生は、念入りに打ち合わせをした。行く前に本人にクドクドと注意しない方が良いと思ったから。ハトちゃんのワクワクを壊さないように。支援級の先生はこの行事に一緒について行ってくださって、私の代わりにハトちゃんの出来ないところをフォローしてくださる。心強い。じつは支援級の児童によっては、ご飯の後に保護者が連れて帰って、早朝にまた合流する場合もあるらしい。ハトちゃんの答えはNOだった。
「そんなの宿泊訓練にならないじゃん」
「だよねー」

そしてハトちゃんから、「シャンプーは液体のものだとぜんぜん泡立たないから、いつもの泡タイプを使いたい」と言われた。そこでハトちゃんのために、無印良品へ出向いて泡タイプ用の小分け容器を買いに行くことになった。ハトちゃんも気にしているのかもしれない。家と違うところで生活するということ。

いつもと同じタイムテーブルで。
いつもの場所でいつもの人と過ごす。
ハトちゃんにとっての安心はそこにあるのだ。だからこそ、切実に泡タイプ用の小分け容器が欲しかったのだろう。いつものようにお風呂に入るために。

予定の日に買い物に行けなくてハトちゃんを泣かせてしまった。翌日やっと有給が取れて無印へ向かった(私の地方では、駅ビルに無印が入っていて通勤の行き帰りに買うという芸当は出来ない。わざわざショッピングモールへ出向くのだ)。
目指す小分け容器を手にしたら、やっと、ハトちゃんはにっこりした。


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宿泊訓練の当日、大きなリュックとスポーツバックを手に持ったハトちゃんを学校の校門まで送っていった。車から降りたら、校舎の端っこにある5年生の下駄箱が見えた。下駄箱前には5年生女子が何人かかたまっておしゃべりしている。普段は着てこないジャージ上下スタイルをお互い見せ合っているようだった。

そこへまっしぐらに駆けて行くハトちゃん。

たむろっている女子にゲゲっという反応ではなくて、「早く早くあそこに加わらなくっちゃ」という楽しみな感じだった。頼もしい。

私は校門の内側のロータリー的な場所に立っていた。そこは、かつてハトちゃんが新一年生だった時、彼女を車から降ろした後で何度も背中を見送った場所だった。当時、ハトちゃんは小学校になかなか慣れなくて、支援級の先生は門に迎えに来てくださっていた。先生に手を繋がれて目に涙を浮かべたハトちゃんとお別れした校門。私はそこに立っていた。

あの頃の未来に私は立っているのかな。

ふと、そう思った。
いつも背中を見送るだけの私だけど。

学校からは保護者へ二時間おきくらいに実況レポートメールが入った。無事バスで学校から出発しました。オリエンテーリングしてます。昼ごはん食べてます。木の板で工作しています。キャンプファイヤー。お風呂。就寝。

毎回、娘の元へ心を飛ばした。
上手くいきますように。でも、失敗しても大丈夫だよ。全部が宝物みたいな経験だからね。枕元にいつも並んでいるぬいぐるみたちも、押し入れから応援しているよ。



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帰ってきた娘は、開口一番、申し訳なさそうに言った。「おうちから持って行ったシャンプー使わなかったの」

「へー!そうなの」

後日、先生が私にしてくださった報告によると、ハトちゃんはお風呂へなんと身一つで行ってしまったらしい!でもちゃんと、先生に恐る恐る「タオルを貸してください」と助けを求めたそうだ。シャンプーはお友達からもらった。

やるな!ハトちゃん。

いつもと違う流れで入るお風呂。お友達とわちゃわちゃしながら行っちゃったんだろう。あんなに想定し準備していても、びっくりの方向へ進んでいくなあ。

私の想定した成功とは、なんとちっぽけだったのだろう。『家と同じように』身の回りの物を揃えて振る舞わせようとしていた。全然違って良かったのだ。それでもお友達と楽しく体を洗えている。風邪をひかないように体を拭いている。何とかなってるなあ。大成功じゃん。

私は笑ってしまった。そして、ズッコケた。

ハトちゃんは大興奮で宿泊訓練の報告をしてくれた。

眠ったのは11時過ぎ、起きたのは5時だと言う。楽しくて楽しくてもったいないから寝たくなくて、ワクワクしてつい起きてしまったらしい。良いね!

夜は恋バナしたって言う。

ハトちゃんの班にはハトちゃん入れて女の子が3人。かわるがわる誰が好きなのかどんなところが好きなのか発表したって。最終的には結婚式で何を着るのかという話になったらしい。10歳女子おそるべし。

ハトちゃんはお話が苦手だから、コミュニケーション大丈夫なのかなあと心配していたけれど、杞憂だった。お友達は、ハトちゃんがお話しするのが苦手なことは良く知ってくれていて、言葉を補いつつハトちゃんの真意を汲み取ろうとしてくれているようだ。ありがたい。

五体投地してしまうほど、お友達に感謝している。


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ハトちゃんは、学校の宿題で絵日記を書いていった。文章を書くのが苦手な子で普段は大嫌いなのに、今回はノリノリで書いていた。

たのしかた。

小さな「っ」が抜けてたりするけど、6回も「たのしかた」って書いてた。ママがいない初めての場所でお友達と楽しく過ごせたのなら、それはそれで大大大成功だと思った。

やっぱり今、私は、あの時の未来に立っている。宿泊訓練を憂慮して、こわごわハトちゃんの背中を見送っていた私。その未来に。

そして今この瞬間も、「あの時」になり、過ぎ去ってしまう。また未来から振り返る日がくるんだろう。

手の中にあるあのハトちゃんのシャンプー小分け容器には、無くさないようにラッコの名前シールが貼られている。そのラッコのお腹にはマジックで「ハト」って名前がデカデカと書かれている。それを目に焼き付けておこうと思った。

ラッコはウインクしていた。







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