話がおもしろい人は釜爺
このnoteを最後まで読んでくれたヒトは、このタイトルを理解してくれると思う。
「知識を得ることで、自分の無知を認識する」知れば知るほど、知らないことを増やしていくようで、嫌になることもある。しかしそれ以上に得られるものがあるから、これからもわたしは、学び続ける。
これは前に書いたnoteの最後文章だ。今回は「それ以上に得られるもの」解説、第一弾。わたしが思う「話がおもしろい人」と「知識」の結びつきのお話。
一般化出来ることが最強
抽象的に考えて一般化すること(再現性のある形に変換すること)に価値を置きすぎていた、頭でっかちなわたしは、「どの人のどんな話もなんとなく同じように聞こえてしまう病」にかかっていた時期があった。
「新しい考え方なんてない」と。「みんな、先人たちの考え方や言葉を借りて、それを我が物顔のように発信してる」と。
そう感じるのではあれば「人の話を聞くなんて、時間の無駄じゃないの」と思われるかもしれない。
人の話を聞くことをやめなかった理由
そんな時期にも、こころを動かされる話があったからだ。この人の話なんかおもしろい、そんな人の存在が、わたしの中で引っかかっていた。
そしてわたしは「彼らはなにが他の人と違うのか」という問いを立てた。
人の話を観察、分析し、考え、たどり着いたわたしの研究結果をこれ以降に「話のおもしろい人の共通点」として示す。笑
話のおもしろい人の共通点
ずばり、釜爺っぽいという点だ。
釜爺とは:ジブリ「千と千尋の神隠し」登場人物。6本の手があり、湯婆婆が経営する湯屋で生薬の調合などを担当している。
ー 1.引き出しの数; 知識の量
映画世界での「引き出しの数」は、すなわち現実世界での「知識の量」
たしかに、引き出しの数が多いことは、それだけおもしろい話ができる可能性を秘めているという点で優れているのだろう。実際、引き出しの数を増やすことに時間をかけている人は多いのではないだろうか。
しかし、引き出しの数を増やすことばかりに時間を費やして、どこに何をしまったか覚えていない。結果、引き出せなかったり、引き出せたとしても時間がかかるのだ。
話は「リズム」が大切なのに、それが失われるなんて、おもしろい話とは言えないだろう。
つまり、引き出しから、知識 / 薬草 を引き出す訓練が必要なのだ。
ー 2.薬草の調合; 知識の組み合わせ
映画世界での「薬草の調合」は、すなわち映画世界での「知識の組み合わせ」
もちろん、1種類の薬草だけで、十分なこともある。しかし、調合することで、より活躍の幅が広がる。
どれだけ引き出しの数を増やして、どれだけ引き出す訓練をしようと、調合の練習をしなければ、ある程度おもしろいことを話せる人止まり。次の段階には行けないのだ。
「流れ」がイマイチ、「具体例」がイマイチ、おもしろい話になるものも、ならないよね。
つまり、状況にあった最適な 知識 / 薬草 の 組み合わせを導き出す訓練が必要なのだ。
*これ以降はプラスアルファ(劇中にはない架空のお話)
ー 3.引き出しの組み換え; 知識の整頓
映画世界での「引き出しの組み換え」は、現実世界での「知識の整頓」
ある程度、手を伸ばせば届く範囲の引き出しの数なら、引き出しを組み替える必要はないのかもしれない。
しかし、理想の釜爺に近づこうとすればするほど、引き出しの数を、すなわち知識の量を増やしたくなるのではないだろうか。
引き出しの数が増えると、引き出すのも大変になる。右端の方の薬草をとって、つぎは上の方の薬草をとって、そのあとに、左端の方の薬草をとって。こんなことをしているようでは、時間がかかる。
そこで、必要なのが、引き出しの組み換えだ。意外なものが組み合わさる可能性があるので、完璧な組み換えというのはないと思う。
しかし、ある程度共通項のある知識たちを似た場所に組み替えておけば、覚えることも少なくなるし、何より引き出すための時間短縮に繋がり、リズムに乗った話のできる人になるだろう。
つまり、知識を定期的に整頓する訓練が必要なのだ。そうすることで、あなたの頭のキャパを違うところに使う余裕ができるだろう。
ー 4.薬草の消費期限; 知識の陳腐化
映画世界での「薬草の消費期限」は、現実世界での「知識の陳腐化」
もちろん、消費期限が切れたからといって、薬草がなくなってしまうことはない。
しかし、消費期限内、それも一番状態の良いときに薬草を取り出して、薬湯として調合するのが、腕のある調合師ではないだろうか。
ある地点だとおもしろい話だったかもしれないのに、タイミングを逃して、時代遅れの話だ、って、ちょっと残念。
つまり、時間の流れやトレンドを把握して、知識 / 薬草 を消費期限内に使う訓練が必要なのだ。
ー 4.1.スペシャリストかジェネラリストか
4章で書いた話は違う見方もできる その1
賞味期限切れでカビが生えたことで、カビの研究が出来て、巡り巡って、新たな薬草の開発につながるかもしれない。
つまり、声を大にして言いたいのは、知識が無駄になるということはないということだ。
しかし、釜爺は薬湯の調合師だ。研究者が他にいるなら、任せたほうが、自分の得意な方に集中できる。
スペシャリストになるか、ジェネラリストになるか、という話とつながる。完全に好みなのだが、時間は有限だ。だから、わたしたちはものごとに優先順位付ける必要がある。さもなければ、デザートを食べる前に時間切れだ。自分の得意なこと、好きなことに時間を使いたいよね。
ー 4.2.トレンドは巡る
4章で書いた話は違う味方もできる その2
賞味期限切れでカビがは生え一度は使えなくなった。しかし、時代が進み、カビ薬草が注目される日がやってくるかもしれない。
つまり、声を大にして言いたいのは、知識が無駄になるということはないということだ。
時代は巡っている。例えば、ファッション。アニマル柄はわたしが認識してるだけでも、時代を超えて3回も流行った。
つぎに巡ってくるだろう流行りを信じて、薬草を使わず、とって置くことが悪いとは言わない。しかし、時間は限られている。明日なにがあなたの身になにが起こるかわからない。いつ巡ってくるかわからないときのために、蓄えておくより、流れてきた旬だと思うときに使おうよ。
だから知識は大切なのだ
「知識」という名の「禁断の果実」;「それ以上に得られるもの」解説、第一弾。わたしが思う「話がおもしろい人」と「知識」の結びつきのお話。
まとめとして、膨大な知識があり、さらにそれを操れるだけの「引き出す力」と「組み合わせる力」を併せ持つ人達が、わたしが考える、話のおもしろい人、すなわち、釜爺なのだ。
大前提として、知識がなければ、引き出すことも、組み合わせることも出来ない。知識が増えれば増えるほど、そのレパートリーが増え、さらにプラスアルファの領域にたどり着ける可能性が広がるわけだ。だから知識は大切なのだ。
釜爺のことわざ
釜爺は手6本と足2本。合わせて手足八丁。ということで、最後に、わたしが思う、釜爺的ことわざを紹介…「口八丁手八丁」
「口八丁手八丁の意味」
口も達者で手先も器用である事。
「口八丁手八丁の由来」
口はそのまま人や動物の口を指し、言葉やものの言い方について、手は動作や腕前、技量などを表す。八丁は「八挺」とも書き、「達者で巧みなこと」を表している。このことわざには八つの道具を使いこなす器用な人でありながら、雄弁な人という意味合いがある。
「しかし純粋な褒め言葉ではなく、やや相手を軽んじて用いられる場合もある」
ここが、言葉のおもしろいところだ。使うコンテキストや、相手がその言葉に抱く背景が違えば、同じ言葉でも、全く違うものを見ている、考えていることになっているのだ。
つまり、わたしが思い描く「話がおもしろい人」は他人にとって必ずしもそうではない。そんなことを心に留めて、参考までに、これからもわたしの文章を楽しんでいただけると幸いです。
あとがき
今日書いた釜爺の例は、おもしろい"話"が出来るだけではなく、さまざまな状況で応用できることなのだ。ぜひ応用してみてねxx
わたしも日々、自分的理想のスーパー釜爺に近づくために努力中だ。最近特にスキなのは、オヤジギャグ系釜爺。なんだあの頭の回転の速さは。
最後まで読んでくれたあなたはわたしの太陽だ!よかったらサポートおねがいします!サポートは、イベントを開いたり、本を買ったり知見を広げることに使いますxx 今日もあなたにとって良き日でありますように!