「烙印」と化した「小児性愛」~アニメでもイラストでも決して許されない~

こんにちは、カイのオタク文化ラボのカイです。

今回は「烙印」と化した「小児性愛」 ~アニメでもイラストでも決して許されない~ というタイトルで記事を書いております。

・はじめに

まず、ここで「烙印」の意味を改めて説明しておきます。

烙印とは、現代では、ひどい汚名を受けることや社会的な偏見を受けること、という意味でも用いられるが、本来の意味は「刑罰として科された罰としての印」である(日本だと、江戸時代などに行われた【入れ墨叩き】がそれに近いものである)

つまり、この記事では「小児性愛という言葉が、とりあえずロリコン趣味がある人を犯罪傾向やそのほかの要素を検討せず、一方的に叩くために用いている、そしてその【叩き行為】が一種の【烙印】となっていて、実際には無害なロリコンアニメオタク等にも酷い偏見が起きている」という意味で「烙印」という言葉を比喩的に用いている。その点のみ、注釈を入れさせていただいた。


・1 ツイッター・外部ブログにおける「ロリコン叩き」の現状と被害

現在、ツイッターやネット上での「ロリコン」叩きは非常に厳しいものになっており、なかには萌え絵が好きなオタクやクリエイターに向かって「小児性愛者だ」と叩く者も登場している。

しかし、この「萌え絵」を「小児性愛」と扱い、病気だから病院に行けとか、海外なら捕まると言った「論法」は何も、温泉むすめの件やロフトの件が初登場というわけではない。実は、小児性愛というもの自体への偏見や差別が恐ろしいレベルで高いのだ。

以前から、子どもに見えるキャラが叩かれるたびに、小児性愛的と批判する者は確認されていた。また、そこまではいかなくとも「ロリコン」とか「キモオタ」といった、著しく不適切な言葉で責めていた人の存在は、松戸市のVチューバ―の件や、ドラえもんにおける入浴シーン論争でも確認されていたのである。

特にツイッターでは「小児性愛」「性犯罪者予備軍」という強力な言葉を使ってマウントを取ろうとする行為が確認されている。これらは、二次元限定の萌えオタや18禁分野のクリエイターにとっては相当つらい現状だと考えている。

・2 温泉むすめの件 ついに温泉地への批判が始まる

実は温泉むすめの件は、一部はかなりひどい状況になっており、脅迫に近い案件が複数確認されているほか、ここまで攻撃的ではなくとも「性犯罪的表現を擁護するのは良くない」と温泉側に詰め寄る者や「温泉むすめに頼る温泉地はもともと衰退している」といった、度を越えた言動が複数見られている声優に文句を言った者もいるらしい。

ここではなぜ、このような行動をとる者が登場したかを考えてみる。

まず、大前提は表現規制派と呼ばれる人々にも、多種多様な考え方や細かな意見の違いがあり、広義では表現規制派であったとしても、比較的に穏健な人から本当に乱暴な人まで様々おり、付随する政治的思想もかなり異なる。

そのうえで、今回、このような過激な行動に走る者が登場した大きな理由は5つほど考えることができる、ちなみに後半2つは、やや閲覧注意であるので、念のため先に言っておく。


1つ目は単純に女性が性的に見られることを許したくない、というタイプである。このタイプの場合は、多くは意見を述べるだけだから、心配する必要はない。話せば相互理解できる場合もある。

2つ目は、ロリコン・小児性愛者を嫌っている人物によるものである。

まず、このタイプの人に根気よく説明せねばならないことは、日本では法律で二次元の子どもキャラの性表現は違法ではないということ、そして、国際条約についても、日本は国際約束上、表現の規制をする義務がないことに関する閣議決定の例を提示する必要がある。そのうえで、オタク側も現実の子どもへの性犯罪は許さない姿勢を明らかにしておく必要がある。

3つ目は、過激なゾーニングを求める人によるものである。

まず、最低限必要なゾーニングはすでに実施されている。ソフ倫の自主規制や、CEROなどの規則や、都道府県単位で実施されている青少年健全育成条例などによる規定、刑法175条などがすでに整備されている。これ以上のゾーニングはゾーニングではなく「排除」に近いものであり、合わせて、ゾーニングとは「なんでもかんでも18禁にすること」ではなく、必要に応じた展示場所の工夫(入口から一本、奥の通路に置くなどして、入口からは見えないようにするなど)といった配慮の精神に基づく行動である。ゾーニングに「排除する精神」「追い出せ精神」が加われば、それはもはやただの「嫌がらせ」でしかない。

~4つ目・5つ目は一応閲覧注意~


4つ目は、萌えを諦めた一部のオタクやクリエイターによる攻撃である。

確かに萌えエロを守るのは半端じゃなく厳しいから、嫌になるのは理解するが、敵になることはできれば避けてほしかった。それに、自称オタクやクリエイターと言う、一応、かつて差別や批判を受け、人の痛みや暖かさをよく理解してるはずの人々が温泉むすめの主旨や温泉地にとっての効果・観光学的な分析を無視して突撃したのには失望している。

5つ目は、萌え絵は環境型セクハラ というタイプである。

これは一言で表現すると「萌え絵で抜くキモオタの存在が許せず、萌え絵を見ると、その存在を認識してしまうため、間接的にはセクハラ(という風に本人には見える)と言ってしまう現象」である。要するに生理的にオタクが嫌いなだけなのだが、一応、このような人も確認できたので載せている。


・3 本物の小児性愛者を救うために必要なことは烙印を押すことか?

最近は本当に小児性愛やロリコンと言って叩けばよい、みたいな風潮があり、大変遺憾であるが、ここで少し「小児性愛」という病気について福祉的な観点から考えたい。最近は小児性愛者を著しく叩き、差別する空気が世界的に認められる。しかし、こうした空気は「軽度の小児性愛者」更生するにあたり、良好な治療環境かと聞かれたらどうだろうか?

〇〇性愛という病名は、他にも多数ある。これはDSMー5という精神疾患に関する診断・統計マニュアルにも載っている。


小児性愛だけが強調されている風潮があるが、もし「犯罪に繋がる性愛」を問題視するならば、他にもいくらでもある。なぜ、精神疾患患者には精神疾患患者の人権を守れ、福祉を守れというのに、一応精神疾患のマニュアルに載っている小児性愛はここまで排斥されるのか、本当に病気だというならば「療養」と「更生」の機会を他の精神疾患と同様に保証すべきである。

ある病気の患者を迫害したり、差別することが、その病気の治療に貢献することはなく、逆に悲劇を起こしたということは、歴史を見ても明らかな事実であると考えている。


・4 小児性愛は絶対悪なのか ~まとめなど~ 

個人的には、現実に手を出す小児性愛者アニメで満足する小児性愛者は、全然違うと考えている。これを言うのは差し支えがあるが、ぶっちゃけた話、本気の二次元限定の小児性愛(ロリコン)の人って、現実の女性や子どもにも手を出すなんてあり得ないんですよね、中には現実の女性を怖いと思ったり、性的に見たことないという人もいます。それに捕まったら、アニメとかを楽しめない事も理解してます。

現実の女性が怖いとか恋愛に興味がないというオタクに対して、恋愛から逃げたとか、現実逃避って批判するのは自由ですが、それを越えて、なんでもかんでも「小児性愛」の烙印を押して、キモオタと叩き、公式や絵師に凸をするのは、明らかにやりすぎですよ。

これらの行動には、いくつかの複雑な理論が網目のように絡まっているのですが、多くの場合は「性表現やオタクなどへの【怒り】」「自分は女性の尊厳を守るヒーローであるという【正義感】」「これら萌え絵などは批判してもよい下級表現であるという【偏見】」「自分の影響力や権力に浸る【自惚れ】」の4つの要素が複雑に絡んでます

いいですか、皆さん「怒り」は用法を間違えると、強力すぎる言論的エネルギーを生み出します。怒りを利用して攻撃することは最もまずいですよ。

また「正しい」というのも、これは言い換えれば「道徳観」ですから、一人ひとり異なった価値観を持っています。自分の「正しい」を他者に押し付け、従わなければ叩くというのは、もはや正しいでもなんでもなく、ただのわがままですよね。

私は以前から「正義と差別心の融合した何者か」という言葉をよく使ってきました。大きな「大正義(今回の場合は小児性愛的表現を許すな)」の前では、一見この相性が悪そうな「正義」と「差別心」が運命の出会いを果たし融合するときがあります、その時に生まれるものは一体なんでしょう。

まあ、知らない方が幸せでしょうね。ただ、一応、過去のnote記事にまとめてあるので、よかったらご参照ください。


結論としては、小児性愛自体は、確かに、事件を誘発したり、問題になるかもしれません。しかし、それは現実の子どもに手を出す人の場合でありそういう場合でも更生と社会復帰の機会は平等に付与されるべきです。

ですが、最近の「性的なアニメ絵(しかも、多くの場合はミニスカや学生服といった普通の服装)」に向かって、小児性愛的だロリコンが喜ぶというのは、明らかに過度な正義の執行であると言わざるを得ません。

以上の2つは、性犯罪の増加と性的なアニメの数は関係がない ということに関する統計や調査、考察に関する記事やブログです。

本当に性的なアニメやゲーム、キャラクターの表現が現実に犯罪を起こすような小児性愛者を生み、増やす原因となるのか、冷静になって考えてほしいです。アニメやゲームの子どもよりも、現実の子ども達を守ってあげるべきではないですかね…

以上です。長文、大変失礼しました。