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私が私であるために

大人になって、自分を生きる時間に限りがあることを実感した今だから思うことがある。
私は、自分を生きているのか?という当たり前のことを。

親の存在は少なからず子供に影響を与える。
親が何気なく言った言葉を、頭のどこかで覚えていて、
それをインプットしたまま成長していく。

幼いころの私は、よく怒る自分勝手な子だと思われていたに違いない。
それも、本当は姉と比較されることが嫌だったからなのに。

いい子になりたかった。
多分、誰からも認められるいい子に。
さまざまな感情を押し殺して、私はいつしか人の気持ちを先読みすることを覚えていった。
本当の自分の気持ちではなく、親はこうすれば喜ぶだろう。
今はこの行動が正しいだろう。
こうすればいい人なのだろう。と。

自分の感情を押し殺して、いい人の行動をとり続けるうちに、
いつしかいい人が自分なのだと錯覚していった。
仕方がない。私がこうするしかないのだと、思い込んでいった。

親も私と同じように年を取り、どんどん勝手なことを言うようになる。
姉妹でも、結婚して違う家庭を築くうちに、どこか他人になっていく。
家族のカタチが変わっていっても、そんな中にあっても、他人にはなれない。
私も自分の家庭ができ、一番大切な居場所ができた。
こうなってくると、血のつながった肉親なのに、私だけが気を使っている状態がおかしいと思うようになった。

迷惑かけたもの勝ちなのか、誰も自分を主張しすぎていることに気が付いていないのか。お互い様という言葉もあるが、金銭的にも精神的にも、結婚して以来、家族に迷惑をかけた記憶はない。
母も姉も私という存在を考えたことがあるのだろうか?
何か起こると、何も言わずに動いてくれる。
言いたいこと言っても大丈夫な人。くらいにしか思ってはいないだろう。
姉は私を許さないと言った。
許されないことをした覚えはない。
それは逆恨みだ。と冷静な私には判断できる。
本人たちはそんなことはない、と反論するかもしれないが。
甘えるな!と言えればどれほど楽になるだろう。

体調を崩し、もしかしたら大きな病気になるかもしれないと思ったとき、
夫以外には伝えなかった。
心配してもらっても、私の病気がなくなるわけではない。
本当に困るのは夫と子供だけだ。
もし、オペに失敗したら…。もし病気だったら…。と本気で考えた。
前日に泣きながら夫と子供に宛てた手紙を書いた。
検査の結果、大ごとには至らなかったのは本当に嬉しかった。

それ以来、私の中で何かが変わった。
もう、十分だ。
もう誰からも認められなくてもいいから、自分でありたいと。
私を生きてみたいと。

私にも、残された時間は限りがある。
他人にどう見られるかではなく、本当の自分の気持ちを尊重してみたい。
母の言葉の呪縛から逃れ、私の価値観で生きていく。
当たり前のことだったのに、気づくのに時間がかかりすぎた。
でも、気づかないまま一生を終えなくてよかった。


自分の人生は自分のものだ。
親のものではない。
嫌な時には嫌だって言おう。
誰かと比べなくてもいい。
多くの人に認められなくてもいい。
私を認めてくれる大切な人はこの世の中に2人いるから。
私が私であるために。
今できることをしていこう。


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