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どうして何をして生きるか

私はなんのために生きているのか、働いているのか。

最近、それがしょっちゅうわからなくなるから、よく向き合う。もっと世の中にすごいことをしている人がいる。っていう、すごいことってなに?もっとかっこいい仕事をして、キャリアに、未来に、可能性を持っておきたかったって思う。可能性を持っておいて、その先に何があるんだろう。人は、未来の選択肢を狭めたくないというのが生存本能としてあると言われれば、それもあると思う。

でも、その先に何があるか、目的を考えてすぎてしまう私は、たぶん「キャリアに、未来に、可能性を持っておく」働き方をしても、働きにくいのもわかっていて。

私はなんのために生きているんだろう。私のため、誰かのため、社会のため。

私のため。私の幸せのため。私の幸せは、新しい人と出会うこと、ことを知ること、人をつなげること、いい言葉を書けたとき、チームでつくりあげているとき。嫌いだけど、誰かにほめられたときはやっぱりうれしい。

誰かのためにがんばるときはたくさんある。大好きな人のためにがんばるときが一番うれしい。

社会のため。世の中には、「ほにゃららな社会にしたい」って働いている人がたくさんいて、すごいと思う。私もカラフルな未来って言っているけど、最近はもう社会はそうなんじゃないかと思い始めて、わからなくなった。

と、ここまで書いてちょっと置いておいたら、今の私の思考がそのまま言語化されたような記事に出会った。

twitterをぼんやり眺めていたら、みんなフォロワーを増やしたり、仕事したり、お金稼いだり、恋愛したり、コミュニティつくったり、とにかく「頑張っている」人が目について、この人たちはみんな何を目的にこんなに頑張っているのだろうという純粋な疑問が頭に浮かびました。

共感しすぎてすべて引用したいくらいなんだけれど。

どうせ100年たったらみんな死ぬのに、一体何を目指して何を頑張ればいいの?ということです。
「どうして生きるのか?」なんて考えたのは今に始まったことではなく、今までは、「ま、答えなんて出ないし、それに悩むくらいなら、今を全力で楽しんで生きようぜ!」っていう結論になってた。

“個人にできることなんてとっても小さいかもしれない。”
本当にそう。働いていると、会社にいると、めちゃめちゃ思う。無力すぎて泣きたくなるときも逃げ出したくなるときもある。

最近、大学4年生に就活の相談をされた。将来地域やコミュニティに関わりたい、新卒でどういう仕事をすればいいのかと。私も就活をしているとき、そうだった。ありとあらゆるそういう憧れの“地域で何かしている人”たちがいる場に行き経歴を見て、一社目をどこにするか何の仕事をするか考えまくった。

答えは、そのときもわからなかったし、ちゃんと地域に関わり始めた今もない。

そんな今思うことは、大きなやりたいことからブレイクダウンするのではなく、ボトムアップで自分が何ができるのかを探すために働くのでもいいのかもしれないということ。

いつでも飛び出せるように、余白のある会社で、手をあげたら(ある程度)やりたいことをやらせてくれる会社に入っておいた方がいいよ、と伝えておいた。

もっと成長したい、できることを増やしたい。だけど、今私のいる場だけではそれができるわけではない。

昨日コンサルで働いている友だちと半年ぶりにあった。仕事がきついと話していて、「なんで」と聞いたら、難しいことだらけだからだと言う。

私はすごいうらやましいと思った。気づいたら「え、めっちゃいいじゃん」って言った。普通に会社に行き、働くだけで、成長できる環境があるなんて、いいじゃん。

自分でボールを拾いにいかないとストレッチができない。だから必死にぬるま湯から脱するようにしているんだけど、それが結構きつい。

そこで、でてくる問い。なんで私はがんばりたいのか。働きたいのか。生きたいのか。

“「次に生きて行く人たちに、遺すためじゃない?」”

私はそのうちいなくなってしまう。だったら何も残せない人生より、誰かの人生を少しよくしたり、いい感情を与えたり、した方がよっぽどいい。

生きていくのに必要な感情は楽しいとうれしい。もっと言うならうれしい、だ。

最近もうれしいことは細々あった。
つながりをつくれたとき。
言葉をほめられたとき。
うれしいと言われたとき。

うれしいって残していかないと、忘れてしまうものなので、ちゃんと残そう。



ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。